So-net無料ブログ作成
前の3件 | -

原始の自然と伝統文化の島々 世界遺産への再挑戦 -国立公園 人と自然(24) 西表石垣国立公園(その1)ヤマネコとの対立から共存へ 西表島 [   国立公園 人と自然]

6月初旬、数十年ぶりに石垣島、西表島、竹富島を訪問した。


西表石垣国立公園は、わが国最西南端の国立公園で、その中心の西表島は、南西諸島では沖縄本島に次いで大きな島で、鹿児島から約1200km、沖縄本島からでも約430kmの距離だ。
むしろ台湾の方が近い。緯度も台湾、小笠原硫黄列島、ハワイ諸島などとほぼ同じだ。

国立公園には、西表島のほか、石垣島や竹富島、黒島、新城島などの島々が含まれる。


1972年4月に琉球政府による西表政府立公園として指定されていたが、復帰に伴い同年5月に「西表国立公園」として指定されたものだ。

その後2007年に、石垣島の編入により、名称も現在の「西表石垣国立公園」となった(石垣島編入の経緯などは別記事で)。

西表島には、タブ、オキナワウラジロガシ、マングローブやサキシマスオウノキなどの亜熱帯性植物が生育している。


「マングローブ」は、メヒルギ、オヒルギなど海水の入り混じる河口などに生育する樹木の総称で、西表島のマングローブ林は6種の樹種からなっている。

特に、西表島の浦内川や仲間川、後良川などの河口を中心に広がるマングローブ林は、国内最大級だ。

s-マングローブ林(西表・後良川).jpg
写真は、数十年前に訪れた際の後良川のマングローブ林


浦内川と仲間川では、マングローブ林観察などの遊覧船も就航している。


以前の訪問時には浦内川を遡り、マリユドゥの滝まで行ったこともあるが、今回は時間がなくて行くことができなかったので写真もない(前回の写真が見つかったらアップ)。

今回は仲間川の遊覧船。

s-DSC06390.jpg


満潮時には、マングローブの樹々は根元がすっかり海水(汽水)に浸かっている。

s-DSC06394.jpg

s-DSC06397.jpg

塩分の濃い水分を吸収しているが、その塩分は特定の葉に集中させ、落ち葉として体外(樹木外)に排出している。

川面にはこの落ち葉が、黄色い帯となって漂っている。

s-DSC06402.jpg


仲間川の上流には、板根(ばんこん)を有することで有名な樹齢約400年といわれるサキシマスオウノキが生育している。

s-IMG_6455.jpg


干潮時などには水深が浅くなって、ここまではたどり着くことができないという。
途中の川の中でも生育しているのを見ることができるが、上流のような迫力はない。

s-DSC06359.jpg


熱帯林では多数の板根を有する樹木を見ることができるが、日本で自生しているのは少ない。
古見のサキシマスオウノキ群落は、天然記念物に指定されている。石垣島や奄美大島でも生育している。

はるかかなたの山中には、ヤエヤマヤシの群落も見ることができる。

s-DSC06367.jpg


西表島にはまた、イリオモテヤマネコ、カンムリワシ、リュウキュウカラスバト、セマルハコガメなどの貴重な動物も生息している。

道路の側溝は通常のU字溝ではなく、セマルハコガメなどが落ち込んでも脱出できるように、山側に緩傾斜の形式(レ字型?)となっている。

世界でここだけにしか生息していないイリオモテヤマネコは、1960年代になって初めてその存在が確認され、「20世紀最大の発見」とも言われたほどだ。

昔から地元の住民は「ヤママヤー」とか「ヤマピカリャー」と呼んで、家ネコとは違う猫の存在に気づいてはいた。琉球大学の高良鉄夫教授らは住民から標本となる毛皮などを集めていたが、沖縄では新種かどうかの確認(同定)はできなかった。

ちょうどその頃、噂の山猫の取材で西表を訪れた動物作家の戸川幸夫も、頭骨と毛皮を入手した。高良から託された毛皮と独自入手の頭骨などを東京に持ち帰った戸川は、国立科学博物館の今泉吉典博士に鑑定を依頼した。

その結果、1965年には今泉により新種と鑑定され、67年に正式に新種として学会報告された。


かつて西表島では、「人かネコか」の論争があった。1973年に現地調査した西ドイツ(当時)のライハウゼン教授が世界的に貴重なイリオモテヤマネコの保護のためには、その必要性を十分認識していない住民を島から外部に移住すべきだという考えを持った。

ライハウゼンは、自分の意見を日本の天皇に直訴したく、WWF総裁のイギリスのエジンバラ公にその書簡を送った。それが公になり、地元の猛反発を受けることになった。

地元の住民も、琉球王朝時代や日本軍政時代にかつてマラリア汚染地帯の島に強制移住させられて大変な犠牲を強いられてきた人々だ。

イリオモテヤマネコも、交通事故や家ネコとの競合、ネコウイルスによって絶滅の危機にあり、環境省の調査では100頭ほどしか生息していないと推定されている。

かつて訪れた頃には、子どもたちが沖縄本島や本土などに行った際に困らないようにと、交通ルール教育のためにわざわざ1か所だけ設置されていた信号機も、現在の西表島では観光客のレンタカーも増えて必要不可欠な設備となった。

写真は、日本最西端の信号機?

s-DSC06469.jpg


イリオモテヤマネコは、現在では西表島のシンボルとして、橋の欄干や観光バスのマークとしても目にする。

s-DSC06405.jpg

s-DSC06463.jpg


全国各地で、イノシシやシカ、サルなど野生動物による農業被害などが問題になっているが、野生との対立ではなく、共に棲む、共生の世界が広がるように工夫していきたいものだ。

西表石垣国立公園
1972年5月指定
2007年8月名称変更 
面積40,653㌶(陸域)
沖縄県

【本ブログ内関連記事】

自然と文化が織りなす世界自然遺産候補 -国立公園 人と自然(23)奄美群島国立公園

世界遺産への期待と多難な課題 - 国立公園 人と自然(22) やんばる国立公園

多様な生態系のエコツアー:マングローブ林と観光の可能性 -スマトラ島のマングローブ林から(4)

巨樹との再会に思う


 






nice!(23)  コメント(2) 
共通テーマ:学問

東海の日光 静岡浅間神社 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

静岡県立美術館の「古代アンデス文明展」開会式に出かけた折、静岡市内の「浅間神社」に立ち寄った。

徳川家康が、幼少期の人質時代、そして晩年の大御所時代を過ごした「駿府城」。
その家康の遺言に従って埋葬された「久能山東照宮」。

そして、駿府城からほど近い賤機山(しずはたやま)の麓に鎮守するのが、駿河国総社「静岡浅間神社」だ。

この神社、正式には「神部神社(かんべじんじゃ)」、「浅間神社(あさまじんじゃ)」、「大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ)」の三社からなるという。

神部神社は、崇神天皇時代の鎮座というから、およそ2100年前ということになる。
浅間神社も約1100年前、大歳御祖神社も約1700年前の鎮座だ。

これらの社殿群は、江戸時代後期の漆塗極彩色で、境内の26棟が国の重要文化財に指定され、「東海の日光」とも称されている。

境内の重文指定建物の中から、いくつかをご紹介。

石鳥居の奥にあるのは、「総門」。
さらに先には「楼門」があるが、こちらは現在修理中でネットに囲まれていた。

s-DSC06234_2.jpg


門をくぐると、「大拝殿」。
建物としては一棟だが、神部神社と浅間神社の二社の拝殿が左右に配置されている。

代表的な浅間造の二階屋の楼閣造りで、高さは25mもあり、出雲大社本殿(約24m)よりも高く、日本一という。

s-DSC06235.jpg

s-DSC05430.jpg


拝殿奥には「本殿」があるが、残念ながら本殿には立ち入ることができないので、脇から一部を覗き見?
階段も2列あり、右が神部神社、左が浅間神社だ。

s-DSC05437.jpg


境内の社殿が極彩色なのに比べて、質素な素木造りの「舞殿」。

s-DSC05432.jpg


大歳御祖神社の拝殿は、第二次世界大戦で焼失したためコンクリートで再建。
重文は本殿だが、これも脇から覗き見。

s-DSC06246.jpg


このほか、境内には数多くの境内社がある。

「八千戈神社(やちほこじんじゃ)」は、徳川家康の念持仏であった摩利支天像を安置するために造営されたといい、本社に次いで造営された入母屋造銅瓦葺、朱塗極彩色の壮麗なものだ。

s-DSC06237.jpg


その脇の階段を上って山道をしばらく行くと、賤機山の山上に鎮座し、山宮ともいわれる「麓山神社(はやまじんじゃ)」がある。

s-DSC06240.jpg

s-DSC06242.jpg

この社も壮麗な極彩色の漆塗りだ。

s-DSC06244.jpg


「少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)」も、入母屋造銅瓦葺の極彩色の神社で神宮司薬師社と称し、医療・薬業の守護神として参拝者も多い。

s-DSC05438.jpg


「神厩舎」も重文だ。
納められている神馬は、左甚五郎作と伝えられ、何でも願い事が叶うということから叶え馬として信仰を集めている。

s-DSC05433.jpg


静岡浅間神社の境内でいただいた説明書によると、「見た目は7社、実は40社、56の神々」ということだ。

極彩色の漆塗り建物も見ごたえがあり、一つの境内で40もの社と56もの神々にお参りできるとは、実に効率的?と罰当たりなことを言ってはいけませんね。

神社背後の賤機山には古墳もあり、国指定史跡となっている。

この地は、二千年以上前からの信仰の場となっていたのだ。

これらを現代に伝えたのは、徳川さんの社殿再建などの力も大きい思う。

この日は、古代アンデス文明と浅間神社の社殿群、地球規模での古き文化様式を堪能することができた。

【本ブログ内関連記事】

古代アンデス文明

家康の遺命 聖なるライン ― 久能山東照宮

夜祭と甚五郎彫刻 秩父神社 ー 秩父の神社と巨樹(2)

伝統とミシュラン星 宝登山神社 -秩父の神社と巨樹(3)

温泉と避暑リゾート、世界遺産 -国立公園 人と自然(20)日光国立公園










nice!(27)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

祈る姿、食べるもの 庶民の生活などアラカルト ―ラオスの旅(5) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

仏教国ラオスでは、王様だけではなく、庶民が寺院で祈る姿を多数目にする。
托鉢僧への寄進なども、その一つだ(「古都ルアンパバーン(その2)托鉢とマーケット ―ラオスの旅(2)」参照)。

ビエンチャンで庶民の信仰を集めている「ワット・シームアン」もそんな寺だ。
ビエンチャンでも最も美しい寺の一つとも言われる。

s-DSC04428.jpg

s-DSC04434.jpg
門前には、参拝者が利用するトゥクトゥクや屋台が並んでいる。

s-DSC04425.jpg

ワット・シームアンにはシーという女性にまつわる伝説があり、願をかけて熱心にお祈りする人にも女性が多い。女性は伝統的な横座り。

s-DSC04437.jpg

僧侶から白い糸を手首に巻き付けてもらい祈願するバーシーの儀式も人気だ。

s-DSC04430.jpg

町中の樹木の花も美しい。

s-DSC04366.jpg

サクラのような花が咲いているのは、「ナンプ広場」。

s-DSC04441.jpg

ラオス国営航空のシンボルマークも、国花チャンパー、日本ではプルメリアとして知られる甘い香りの美しい花だ。

s-DSC04551.jpg

ラオスでは、昔ながらの染色糸を使用して肩掛けなどの手織りの布が作られている。

s-DSC04443.jpg

s-DSC04452.jpg
庶民の台所は、何といっても市場だ。
露天も多いが、町中には大規模な市場もある。

s-DSC04575.jpg


s-DSC04480.jpg

トロピカルフルーツから野菜、メコン川の淡水魚、香辛料だか薬草だか、なかには鳥やカエルまで。

s-DSC04488.jpg

s-DSC04487.jpg

s-DSC04548.jpg

s-DSC04578.jpg

s-DSC04491.jpg
ラオスの食材での料理の一皿がこれ。
淡水魚にタケノコ、それとカイ・ペーンという川海苔、やや厚みのある海苔で、表面には白ゴマがまぶしてある。

s-DSC04719.jpg

それと、食事に欠かせないのは、カオニャオというもち米(竹籠に入っている)とビア・ラーオ!?

s-DSC04424.jpg

s-DSC04545.jpg

市場には、東南アジアでよく見かける金アクセサリー店も。
資産は金に代えて肌身離さず、つまり金本位制?という時代の名残か。

s-DSC04549.jpg

サンダルなど履物の展示方法もずいぶん違う。
一足一足、マネキンの足首に履かせて展示しあるが、何と壮観、かつ不気味なこと!!

s-DSC04483.jpg

s-DSC04482 (1).jpg
最後に、日本とラオスの友好橋「パクセー橋」。

s-DSC04462.jpg

南部の最大都市パクセーのメコン川にかかる1380メートルの橋で、日本の無償資金協力で建設され、通勤や物資輸送に重宝されている。

s-DSC04473.jpg

橋の欄干(親柱)には、日本の協力を示す説明板が取り付けられ、紙幣の絵柄にもなっている。

s-DSC04465.jpg

s-DSC06124.jpg


【本ブログ内関連記事】

古都ルアンパバーン(その1)王宮と寺院 ―ラオスの旅(1)

古都ルアンパバーン(その2)托鉢とマーケット ―ラオスの旅(2)

世界遺産ワット・プー ―ラオスの旅(3)

ビエンチャン 黄金の仏塔と凱旋門 ―ラオスの旅(4)

nice!(27)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
前の3件 | -