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クリスマスの誕生とトナカイの絶滅 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

明日はクリスマス。
キリストの誕生日としてキリスト教の祝祭日だ。

しかし実は、キリスト教布教に際して、古代ローマやケルト民族の祭りをキリスト教に取り入れたことは、結構広く知られている。

12月末のこの時期、ヨーロッパ、特に北欧では、これから数か月間は太陽を拝むこともできない日々が続く。

このため、冬至祭のような祭事が各地で行われていたようだ。

日本でも、伊勢神宮や東京・早稲田の穴八幡宮などでは冬至祭が催される。

日照に恵まれている日本では、冬至といっても柚子湯に入るなどの季節の行事くらいで、それほど盛大な祭とはなっていないのではないかな?
個人的感想だけれども・・・

逆に、春先になって太陽が顔を出すと、喜びに満ち溢れた祭が行われた。
これがキリスト教では復活祭、イースターとなったといわれる。

これらは世界各地にある太陽信仰の一つで、日本神話にも天照大神の天岩戸隠れの話がある。

キリスト教に取り入れられたクリスマスに飾るクリスマスツリー。

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上↑の写真は、シドニー近郊のパラマッタ市のクリスマスツリー。
南半球のオーストラリアでは、クリスマスは真夏の行事。半そで姿の人々に、なんとなく違和感?

クリスマスツリーも、もともとは冬でも緑の葉をつけるオーク(カシ)の巨樹を生命の象徴として崇拝していた古代ゲルマン民族などの巨樹信仰が由来とされている。

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いかにも森の聖のようなオーク(ヴィルム島(ドイツ)にて)


また、常緑で成長も早い針葉樹のモミやトウヒも、古くから広く巨樹信仰の対象ともなっていたようだ。

日本でも、高山や北海道などの亜寒帯植生として、モミやトウヒ、シラビソなどの針葉樹が出現する。

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アオモリトドマツ(オオシラビソ)(八甲田山睡蓮沼にて)


日本の門松や御柱祭、御神木などの巨樹信仰にも通じるところがある。

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御神木(秩父神社にて)


日本やヨーロッパだけではなく、世界中に巨樹信仰はある。

一族の出自を巨木に示しているというネイティブアメリカンのトーテムポールも、巨樹信仰の一つと言える。(バンクーバー(カナダ)にて)

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こうした巨樹信仰など古代からのアニミズムを信奉する人々は、その後、一神教のキリスト教徒から異端者として迫害を受け、オークの森に逃れて隠れ住んだ。

それからというもの森は、キリスト教徒にとって悪魔や魔女の住処として征服、つまり自然破壊の対象となったという考えもある。

征服者の領主に抵抗するロビン・フッド、すなわち異端者が隠れ住んだのもシャーウッドの森だった。

ところで、クリスマスのサンタクロースの乗り物ソリを曳くトナカイに絶滅の怖れがあるという。

地球温暖化による気温の上昇で、トナカイの生息地の北極圏では雪が降らずに雨が降ることが多くなってきた。
その降った雨が凍って、草地が氷で覆われて餌をとることができなくなるという。

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北極圏の植生(ノルウェー・トロムソにて)


各地で餓死したり、体重が減ったりしているのが研究者によって確認されている。
個体数も、およそ20年間で40%も減少していると推定され、国際自然保護連合(IUCN)はトナカイを絶滅危惧種としたレッドリストを発表した。

もっとも、フィンランドやノルウェーなどの北極圏で生活をしている先住民族のラップ人やサーミ人などは、伝統的にトナカイを放牧していて、トナカイ肉がレストランのメニューにもなっているそうだ。

サンタさんのソリを曳くのも、馬などと同じ家畜としてのトナカイだろうか?

日本でも、北海道幌延町にはトナカイ観光牧場があって、トナカイソーセージなどを販売しているらしい。


このまま地球温暖化が進んで、トナカイが絶滅したら、サンタクロースはどうやって良い子たちの所に行くのだろうか。

飼育されたトナカイがいる?
スノーモービルもある?

そんな問題ではないだろう!!



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日本のポンペイ? 上毛の古墳王国 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

しばらく前になるけど、9月と10月に、保渡田古墳群とその敷地内にある「かみつけの里博物館」(群馬県高崎市)を見学した。

5世紀末と6世紀前半の二度の榛名山大噴火により埋もれた東日本有数の王国の一部が、保渡田遺跡として発掘、保存されている。

王族の墓である大型の前方後円墳は、八幡塚古墳と二子山古墳、それに一部は切り崩されている薬師塚古墳の3基がある。

「八幡塚古墳」は、二重の堀を巡らした三段墳丘で、葺石で覆われている。墳丘長96mという巨大な前方後円墳だ。

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周囲は約6千本の「円筒埴輪」で取り囲まれている。

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この円筒埴輪は、もともとは壺などを載せる台で、死者へのお供え土器が源流という。これを並べ立てて結界を張ったと考えられている。

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円筒埴輪のほかにも、「盾持ち人埴輪」と呼ばれる神域を守る軍団がある。

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保渡田古墳出土(群馬県立歴史博物館)

顔には紅を塗り、墓域に邪霊が侵入するのを阻んだ。
赤色は、古代から悪霊に打ち勝つための色として、世界中の呪術で取り入れられていたようだ。

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八幡塚古墳の石室には、石棺が収蔵されている。
この地を支配した王の遺体が収められていたのだろうか。

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また、王の権力を示すような道具類の器財埴輪や動物埴輪、さらに武人や巫女などの人物埴輪といった形象埴輪なども、古墳には収められていたようだ。

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「武人埴輪」の最高傑作といえば、群馬県太田市出土のもので、埴輪で唯一の国宝に指定されていて、東京国立博物館で展示されていた(埴輪 古代へのロマン参照)。

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群馬県立歴史博物館にも、榛東村の高松塚古墳から出土された武人埴輪が展示されていた。

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保渡田古墳群には、八幡塚古墳のほか、「二子山古墳」もある。
こちらは芝で覆われた前方後円墳だ。
秋の時期には、周囲をコスモスの花が彩る。背後には、これらの地を火山灰で覆いつくした榛名山が聳えている。

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古墳群の近くには、上越新幹線の工事で出土した王の巨大な館跡(三ツ寺Ⅰ遺跡)もある。

「かみつけの里博物館」には、これらの遺跡の復元模型や出土した埴輪、副葬品の金銅製の靴なども展示されている。

ところで、平成24年(2012年)には、渋川市の金井東裏遺跡から古墳時代の男性人骨が甲を着けた状態で出土した。(↓写真は、県立歴史博物館展示のレプリカ)

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1500年前の榛名山の大噴火に巻き込まれた甲を着けた人骨の主は、榛名山に向かって前のめりに倒れこんでいた。
噴火を鎮めるために、火砕流が迫る中、逃げずに甲を着けて山に向かって祈っていたとも考えられている。

NHKの「歴史秘話ヒストリア」では、今年の10月にこれらの上毛の古墳遺跡群を「謎の古代王 最後の戦い 日本のポンペイから探る」として取り上げて放映する予定だった。予告放送までしていた。

しかし、予告放送直後に起きた阿蘇山の36年ぶりの爆発的噴火(2016年10月8日)による被害者の方々などに配慮してか、放映は中止になったようだ。

阿蘇の噴火で被害にあわれた方々にとって、日本のポンペイの放送は感情的に違和感があるのかもしれない。

大変申し訳ないが、当事者ではない私には、正直なところ放映中止で安堵する感情は持ち合わせていない。(東日本大震災では、世界中が共感したというのに・・・)

それよりも、過敏な自主規制、自粛の方が違和感がある。

自主規制の風潮は、一見やさしさの表れのようだが、行き過ぎると危険性もはらんでいるようにも思う。

大噴火の山と迫りくる火砕流を前に、家族や部族の安全をひたすら祈ったであろう古代の武人に思いを馳せつつ・・・


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伝統とミシュラン星 宝登山神社 -秩父の神社と巨樹(3) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

今回は、三峯神社、秩父神社とともに秩父三社の一角を占める「宝登山神社」(ほどさんじんじゃ)。

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創建は今からおよそ1900年前のこと。
日本武尊の東征の際に山中で山火事に会い、脱出もままならなくなった時、大犬が現れて火を消してくれたという。

頂上に登った尊は、この山を「火止山(ほどやま)」と名付け、神武天皇、山の神(大山祇神)、火の神(火産霊神)を祀ったのが起源という。

鳥居の先の石段を上るとその先に本殿(拝殿)が見えてくる。

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柱だけではなく、虹梁や化粧垂木なども白色で、今まで拝んできた他の神社とはずいぶん雰囲気が違う。

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そこに絡みつく彫刻の龍も、金色や緑色、赤色など艶やかな色彩だ。

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この艶やかさはどこかで見たような気がする。と思ったら、日光東照宮の陽明門だ。
現在の本殿は江戸時代の建築だそうだから、白塗りの柱など、なるほど日光東照宮にも似た華やかさもあるのだろう。

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日光東照宮陽明門(2007年撮影)

このちょっと日本離れした艶やかさが、埼玉県内で最初(2011年)にミシュラン星(一つ星)を獲得した理由だろうか?

でも、裏に回ると本殿は意外に渋く地味だ。

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宝登山の山頂には「宝登山神社奥宮」があって、ロープウェイでも登れる。
また、ロウバイをはじめ、季節ごとの花々も楽しむことができるという。

今回は残念ながら時間もなかったので、奥宮参拝は断念。

その代わりでもないが、すぐ近くの「長瀞岩畳」を訪れた。
長瀞渓谷は荒川の上流部で、地殻変動に起因する岩石などを見ることができ、「日本地質学発祥の地」ともいわれて国指定名勝・天然記念物となっている。

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青緑の川面と白い岩肌のコントラストも美しい。
川下りでも有名で、その発着場ともなっている。
最近ではラフティングも盛んだそうだ。

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ミシュラン星の艶やかな神社、そして清流と岩壁のコントラストも美しい渓谷。

伝統と近代が入り混じったような多彩な宝登山神社と長瀞だった。

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夜祭と甚五郎彫刻 秩父神社 ー 秩父の神社と巨樹(2) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

秩父といえば「秩父の夜祭」。今回は、その12月例祭で知られる「秩父神社」。

秩父市(埼玉県)の中央、秩父鉄道秩父駅の近くの秩父神社は、崇神天皇の時代に知知夫国の初代国造に任命された知知夫彦命が祖神を祀ったのが始まりとされている。

現代の本殿は徳川家康が寄進し、江戸初期の建築様式をよく表していることから埼玉県有形文化財に指定されているという。

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本殿の彫刻には、日光東照宮の彫刻で有名な左甚五郎作のものも見受けられる。

本殿正面には、寅年の寅の日、寅の刻にうまれたという徳川家康にちなんで4面の虎の彫刻が施されている。

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そのうちの1面(↓写真の右)は、「子宝 子育ての虎」は左甚五郎作と伝えられる。

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ほかにも左甚五郎作の彫刻として「つなぎの龍」がある。
天ヶ池に住み着く龍が暴れると必ずこの彫刻の下に水溜りができることから、彫刻を鎖でつなぎとめたところ龍は現れなくなったという。

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本殿北側の「北辰の梟(ふくろう)」の彫刻は、体は向こう側を向いているが、顔はこちらを向いているという見返りの姿だ。

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さすがに左甚五郎も参画した彫刻群は見ごたえがある。

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秩父神社の社紋は銀杏の葉とかで、境内には樹齢400年と伝わるご神木の大イチョウもある。

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乳根は大イチョウだけかと思ったら、この樹は樹高も低いのに乳根は発達している。

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また、諏訪の御柱祭で有名な御柱も境内にあった。
本家の諏訪のような巨木ではないが、境内社の諏訪神社例祭として「秩父御柱祭」が昨年9月末に6年ぶりに執り行われたという。

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秩父神社の祭といえば、冒頭にも記したとおり、何といっても「秩父夜祭」だ。
毎年12月の寒さの中、夜空を彩る打ち上げ花火とともに繰り広げられる夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭とともに日本三大曳祭に数えられている。

神社道路向かいの「秩父まつり会館」には、この夜祭の笠鉾と屋台が展示されている。

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映像などでもそれなりの迫力は感じられる。

でも、やはり、師走の寒風の中で、本物の屋台と祭の熱気を味わなくてはね!!


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三峯神社 狼伝説と関東最強パワースポット ー 秩父の神社と巨樹(1) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

秩父での巨木フォーラム(「巨木フォーラム in 秩父 ― 秩父夜祭 屋台芝居と囃子でおもてなし」)の前日、山梨県側から雁坂トンネルを経て「三峯神社」に立ち寄った。

伝説によれば、日本武尊が東征の途中で創建したという。
周囲を囲む白岩山、妙法ヶ岳、雲取山の三山から三峯の名となったそうだ。
修験道の祖の役の小角や空海も縁があるようだ。

標高およそ1100mの地は霧深く、神社参道入口の「三ツ鳥居」の両脇では、狛犬というよりも精悍な狼(山犬)が出迎えた。

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さらに奥の「随身門」(仁王門)でも狼が。

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いよいよ拝殿。

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彫刻もあでやかだ。

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拝殿の石段には、狼というよりも狐(?)が両脇を固めていた。
その台座には、寄進の講として私の出身地の「江戸 四谷」の文字が。なんとなく嬉しくなった。
現代のように電車や車はないから、当然ながらここまで歩いてきたのだろう。

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このように、境内のあちこちには狼が鎮座している。
お札も狼だ。

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三峯神社では、ご眷属(けんぞく)、すなわちお使い神としてお犬様を信仰している。
日本武尊が奥深いこの地に足を踏み入れた時に道案内をしたのが山犬で、その忠実さと勇猛さによってご眷属に定められたという。

そのご眷属は、深い山中に身を潜めているために、お祭りをおこなうための仮のお宮として創建されたのが「遠宮」、別名「御仮屋」と呼ばれる小さな祠で、拝殿のさらに奥の道にある。

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その祠の内外は、ご眷属の山犬、つまり狼に守られている。

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オオカミがこのように信仰対象となったのは、山の樹や畑を荒らす害獣を追い払う益獣と考えられたからだ。

ご眷属のお犬様は、大口真神(おおぐちのまがみ)として崇められたし、そもそもオオカミの名も大口真神の大神から由来しているともいわれる。

三峯神社だけではなく、御岳神社(東京都)など、甲州から関東一円で信仰されてきた(「オオカミ復活!?  - シカの増加と生態系かく乱を考える」参照)。

神社入口(三ツ鳥居の横)の「秩父宮記念 三峯山博物館」では、ちょうどオオカミ展をやっていた。

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館内写真撮影禁止だったが、狼(二ホンオオカミやタイリクオオカミなど)の毛皮も展示されていた。二ホンオオカミの毛皮は、7例目、8例目を一挙展示とのことだ。

つい最近でも目撃者があり、秩父の山中にもまだオオカミが生息していると信じられているようだ。


三峯神社にはまた、パワースポットのご神木もある。
拝殿脇の大杉に触れるとご神木の気が貰えるというので、参拝客の手当てで黒光りしているほどだ。

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休日には、長蛇の列ができるという人気のパワースポットだ。

遠宮の近くの「縁結びの木」も、特に若い女性には人気があるようだ。

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秩父の山並みが見渡せるパワースポットの「遥拝殿」では、霧で何も見えなかったが、神社の参拝だけで十分すぎるパワーを貰った気がする。

そして何よりも、境内に多数鎮座しているお犬様、狼からたくさんのパワーを貰った。

全国巨樹・巨木林の会会長が、巨樹よりも狼からパワーを貰うとは不謹慎?


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埴輪 古代へのロマン [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

最近、古墳時代の埴輪を続けて2カ所で見る機会があった。

初めは、国立博物館(東京上野)の「日本の考古・特別展」。
「古代ギリシア展」を観た際に、たまたま特別展に立ち寄った。

平成館の特別展会場入口では、国宝に指定されている「挂甲の武人(けいこうのぶじん)」の埴輪が出迎える。

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埴輪で唯一の国宝とか。出土は群馬県太田市。

大陸伝来の最新の甲冑と剣を身に着けた武人の姿を現している。
身に着けているのは大陸伝来のものだが、その姿は弥生時代以来の日本の伝統的な武装だそうだ。

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後で紹介するように、大和朝廷が勢力を張った畿内(関西地方)に対して、古墳時代の関東地方にはそれと匹敵するほどの豪族の勢力があったようだ。

その古墳の一つ、「稲荷山古墳」(埼玉県行田市)は、金錯銘を有する鉄剣が出土したことでも有名だ。

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仁徳天皇陵として知られている大仙陵古墳(大阪府堺市)とそっくりの前方後円墳の形状で、仁徳天皇陵のほぼ4分の1の大きさという。

周囲には、このほか丸墓山古墳(↓写真)、二子山古墳、将軍山古墳など多くの古墳が隣接していて、「さきたま古墳公園」として整備されている。

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国立博物館の埴輪に戻るが、国宝のほかにも、重要文化財の「腰かける巫女」も展示されている。群馬県大泉町出土だ。

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これ(↓)は、「琴をひく男子」。茨城県桜川市出土という。
おさげ髪の女性かと思ったが、男性だそうだ。しかし、顔つきは優しい?

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こちらは正真正銘(?)の「女子」と名付けられた埴輪(群馬県高崎市出土)。
彩色の跡も見え、服の模様やネックレスまではっきりとしている。

なにやら盃のようなものを差し出しているところを見ると、巫女さんみたいな気もするけど・・・

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「盛装の男子」は、栃木県壬生町出土で、名付けられたとおり、立派な服装だ。

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もう1カ所の埴輪見学は、群馬の森の群馬県立歴史博物館(群馬県高崎市)。
こちらは、近くに所要があったのでついでに立ち寄ったところ、たまたまその日がリニューアルオープンの日で、入館料は無料。といっても、普段でも入館料は200円と安いけど。

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館内は、原始時代から古代、中世、近世、それに近現代と、それぞれの時代の群馬県の姿が展示されている。

それとは別に、「東国古墳文化展示室」があり、そこに埴輪が展示されていた。

ここでも、国立博物館と同様に、高さ123cmの大型の「高塚古墳の武人埴輪」(群馬県桃井村出土)が出迎える。
甲冑の形状は少々異なるが、その雰囲気はそっくりだ。

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前方後円墳の保渡田八幡塚古墳(高崎市)から出土した埴輪は、皆が盾を持っている。
外界から古墳を守る異様な形相をした魔除けの役割を果たしていたという。

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富岡市の円墳から出土の埴輪は、人物だけではなく、何やら抽象的な形象埴輪だ。

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下(↓)の左の馬形埴輪は、群馬県で最大級の大きさの埴輪だ。
伊勢崎市の蛇塚古墳からの出土で、馬具が忠実に表現されている。

右は鷹匠埴輪で、太田市のオクマン山古墳出土。
正装した身分の高い人物で、左腕(向かって右)に鷹を止まらせて、鷹狩の様子を示しているらしい。

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ところで、この県立歴史博物館の最後の展示室、近現代には、「スバル360」の実物が展示されている。

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私たちの年代ならば記憶にある「てんとう虫」の愛称で親しまれた量産型の軽自動車だ。

戦時中に軍用機を生産していた中島飛行機の技術を受け継いで生産された自動車で、1958年(昭和33年)に登場した。
この中島飛行機太田製作所(群馬県太田市)が、後に富士重工業となりスバル360が生産されたので、博物館に展示されているというわけだ。

その名のとおり、360㏄という、今ではオートバイにも負けそうな排気量だが、それでも4人乗り。

販売第1号車の購入者は、かの有名な松下幸之助だったという。

昭和33年といえば、東京タワーが建設された年。映画「三丁目の夕日」にも、東京タワーとともに、三輪自動車ミゼットやスバル360も登場していたような気がする。

このスバル360は、日本機械学会によって今年度の「機械遺産」に選定された。

いつの日にか未来人からは、現代の埴輪同様に、古代の遺物として珍しがられる日が来るのだろうか。

それとも、未来人となるまで人類は存続できない? 
戦争テロ、環境汚染、食品汚染・・・・



先週の土・日の学会出席に続き、慣れない畑仕事や収穫物の配送で、ギックリ腰状態になってしまいました。トホホ・・・
PCに向かっていると腰を伸ばして立ち上がれなくなるので、ブログの更新もできず、niceのお返しもできませんでした。失礼!
せっかくの「山の日」も含めて数日間横になっていましたが、何とかPCに向かえるようになり、やっとブログの更新ができました。万歳!!


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暁の祭典 浜降祭 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

海の日の7月18日、神奈川県茅ケ崎市の西浜海岸では「浜降祭」が催された。

神輿を担いで海の中にまで入って禊(みそぎ)を行う祭形態は、海岸部では各地でみることができるが、茅ヶ崎の浜降祭は、別名「暁の祭典」とも称されて、神奈川県無形民俗文化財にも指定(昭和53年)されている盛大な祭だ。

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起源には諸説あるようだが、一般的に伝えられているのは次の説。

時は天保9年(1838年)、相模国一宮の寒川神社の神輿が「国府祭」(大磯町)に参加した帰途、相模川の渡し場での氏子同士の争いで川に落ちて行方不明になってしまった。

その後、南湖(現、茅ヶ崎市南湖)の網元の鈴木孫七が漁の最中に御神体を発見して寒川神社に届け、そのお礼として南湖の浜(西浜)まで寒川神社の神輿が赴いて禊をするようになったのが始まりとか。

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寒川神社の神輿(浜降祭にて)

もっとも、それより以前から地元の鶴嶺八幡宮では、海に入る禊が行われていたともいう。

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鶴嶺八幡宮の神輿(浜降祭にて)

「暁の祭典」ともいわれるように、祭の当日早朝には、寒川神社をはじめ、近隣の神社の神輿が一斉に海岸を目指す。
一番神輿は午前4時ころには海岸に到着するという。

かつては、遠方の神輿は夜中に出発したそうだが、最近は海岸近くまではトラックやバスでやって来る。

海岸沿いの国道134号線は、片側2車線、上下線で4車線の道路だが、この日ばかりは片側2車線はこれらトラックなどの駐車場となる。

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写真↑の車のある奥の車線(海側)は渋滞ではなくて神輿や担ぎ手を運んだトラックなどの駐車場、手前の2車線が対面交通となっている。

地元の南湖地域の上町(琴平神社)、中町(八雲神社)、下町(住吉神社)の各神輿は、各町内から練り歩いて会場入りする。

入場前には、海に入って禊をする神輿も多い。

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午前7時までには、30基以上の神輿が勢揃いする。

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その後、寒川神社の宮司さんたちによる神事が始まる。

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神事が終了すると、神輿は一斉に帰途に就くが、その前に海に入るのもある。

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それぞれの町内会に戻った神輿は、町内を練り歩く。

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この浜降祭、私の子供が小学生の頃は7月15日と決まっていて、地元小学校は午前中は休校だったが、授業時間や担ぎ手の確保などのためもあり、また観光面から多くの見物人を集めるためもあり、1997年(平成9年)から現在のように「海の日」に開催することになった。

小学生たちも心置きなく祭囃子に参加できるが、学校が休みでなくなるのはなんとなく寂しい?!

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小学校の英語教育などで、ますます授業時間が足りなくなるから、祭どころではない?!

(掲載写真のうち、海入り神輿などは、過去の撮影写真を使用)

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四谷・左門町界隈(3) 江戸の名残と明治・大正のモダン [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

実家のある左門町(新宿区)から用務先の二番町(千代田区)までの散策も、いよいよ終盤。

服部半蔵の墓もある「西念寺」(前回ブログ記事)から、このあたりに多い車も通過できないような路地をしばらく進むと、JRと地下鉄丸ノ内線の「四ツ谷駅」前の交差点に出る。

四ツ谷駅から多くの人々が左方向、すなわち赤坂・青山方面に歩いていた。
どうやら、今年4月から公開時期が拡大された「迎賓館赤坂離宮」に向かう人々のようだ。

赤坂離宮は、1909年(明治42年)、かつての紀州徳川家江戸中屋敷に、後の大正天皇の皇太子時代に東宮御所として建設された。その後も、昭和天皇のご成婚直後などに東宮御所として使用されたものの、あまり利用はされなかったようだ。

ネオ・バロック様式の西洋風宮殿は、2009年(平成21年)には明治以降の建造物として初めて国宝に指定されている。

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そういえば、建物はもちろん、外周の塀(フェンス?)も、どことなくベルサイユ宮殿を彷彿させるが、細部の飾り物などには和風のもの(鎧兜や鳳凰など)も多い。

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写真↑の中央の青銅の屋根飾りは鎧・兜、左の金色は鳳凰

戦後は、国会図書館などにも使用されたというが、私が小学生のころには写生会で庭園や館内に入場した覚えがある。
迎賓館として改装利用されるようになったのは、1974年(昭和49年)からだ。

今回は、JICAでの会議の予定もあり、見学は断念。
写真↑は、2013年11月に撮影。


「四ツ谷駅」ホームは、江戸城外堀の中にある。
外堀は、この辺りではJR市ヶ谷駅と飯田橋駅間や地下鉄赤坂見附駅付近(ホテルニューオータニ近く)などで、昔のように水を湛えているのを見ることができる。

JR中央線・総武線はこの外堀の底を通過し、あとからできた地下鉄丸ノ内線はJRよりも高い位置で地表に出たところに駅舎がある。

写真↓の手前がJR四ツ谷駅のホーム、奥の線路を跨ぐのが丸ノ内線との連絡通路と地下鉄駅舎。その先のビル群は、赤坂見附方面。

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この外堀跡の線路を跨ぐのが、都内最古の陸橋「四谷見附橋」だ。

もともとは1913年(大正2年)に架けられ、近くの東宮御所(赤坂迎賓館)に合わせてフランス式の装飾が取り入れられたという。
なお、現在の橋は道路整備に併せて1991年に整備された。

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この橋を越えて新宿通りを進んだ(写真↓の先)突き当りが、前回登場の服部半蔵が警護したという江戸城(皇居)の「半蔵門」だ。

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ところで、四谷見附や赤坂見附、日比谷見附などの「見附」は、江戸城を警護するための見張り番所があったところで、敵に攻め込まれないように道が折れ曲がる枡形になっていたりする。

四谷見附は、江戸城外郭門の一つ「四谷門」があったところで、現在でも石垣の一部が残されている。

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これに連なる外堀の土手は、春には桜の名所として名高い。


左門町の実家を出発してから、写真を撮ったり、寄り道をしたりの小一時間、江戸の名残と近代日本のモダンな姿を垣間見た散策だった。

故郷を見直してみるのも悪くない・・・

でも、急がないと、JICAの会議に遅れるかも(-.-;)




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四谷・左門町界隈(2) 忍者ハットリ君の墓も! 坂の町、寺の町 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

前回記事の須賀神社から四谷にかけては、坂が多く、またお寺さんも多い。

須賀神社に続く天王坂のすぐ近くには、「観音坂」というのもある。坂の途中の真成院にある潮踏観音に因むという。(写真↓は、坂下から)

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潮踏観音とは、前回記事のとおり、かつて海水がこの辺りまで来ていたことにも関係あるらしい。
四谷周辺は、「塩踏の里」とも呼ばれていたという。

父親からは、かつてこのあたりの谷地は「鮫ヶ橋」と呼ばれていたと聞いた記憶がある。
サメも出るというからには、やはり海とも繋がっていたのだろう。
須賀神社近くのお寺の水鉢には、明和3年の年号とともに「鮫ヶ橋谷町」の銘が刻まれている。

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須賀神社のあたりは、新宿から四谷にかけての甲州街道(現在の新宿通り)から尾根のよう張り出た台地上に位置する。

なるほど坂が多いはずだ。どちらに行っても坂がある。
先ほどの銘の「谷町」もうなづける。

これらの坂の一つ、その名もオドロオドロシイ「闇坂」(くらやみざか)。
JR中央線の線路(信濃町駅方面)に向けて落ち込む急坂だが、かつて坂の左右にお寺があって樹木が茂り、昼なお薄暗い坂だったためにこう呼ばれたという。

小学校の同級生たちも何人かがこの周辺に住んでいて、よく遊びに行ったものだ。
自転車でこの急坂を下ることは、臆病な私には到底できなかった。

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須賀町や四谷周辺には、坂だけではなく、お寺も密集していて、寺町ともいわれる。
お寺さんが隣同士、あるいはお向かいなど、どちらを向いてもお寺だらけだ。
私が子供のころに一時通った学習塾は、お寺の本堂でアルバイトの大学生が一人で教えていた。まさに寺子屋だった。

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先ほどの「観音坂」は、真成院と「西念寺」との間の坂だ。
坂上からの写真↓の左側の塀が西念寺。

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西念寺は徳川家ゆかりの寺だ。

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門扉にも葵の紋が附されている。

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ここには、徳川家康の旧臣で、槍の名手、そして伊賀忍者の総帥であり、皇居(旧、江戸城)の半蔵門にその名を残している服部半蔵の墓がある。

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家康の長男の信康は、織田信長から謀反の嫌疑をかけられて切腹を命じられた。
半蔵は、信康の介錯を家康から命ぜられたが、主君でもあった信康の介錯はついにできなかった。

後に、信康の冥福を祈るために仏門に入り、この西念寺を開山して、信康の供養塔を建立したという。

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服部半蔵は、単に武勇に秀でただけではなく、深い情をも兼ね備えた人だったようだ。
そこが、漫画でも「忍者ハットリ君」として皆に慕われるキャラクターとなったのかな~、と勝手に想像している。

忍者ハットリ君の墓からは、彼が警護した江戸城を防御するための外堀と見附があった四谷も近い。

次回は、江戸の名残と明治・大正のモダンが混在する四ツ谷駅周辺。







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四谷・左門町界隈(1) お岩さんとお天王様 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

国際協力機構(JICA)(本部:東京都千代田区二番町)での会議のついでに実家(東京都新宿区左門町)に寄って、そこから四谷・JICA本部まで歩いてみた。


新宿区内には、町名変更(住居表示)の嵐を逃れた由緒ある町名がたくさん残っている。
「左門町」の町名も、江戸時代に諏訪左門という先手組組頭の屋敷があったことに由来するという。

町域は、JR信濃町駅と地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅を貫く外苑東通りの両側だ。


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東京オリンピック(1964年)前までは、品川車庫/天現寺橋(うろ覚えだが)から四谷三丁目(元、塩町)の間を都電が走っていた。
道路の真ん中には都電軌道敷きがあったが、現在では道路も拡張されて、両側にはビルが立ち並んでいる。
都電軌道敷の御影石は、代々木オリンピック会場広場の敷石として利用されている。
信濃町側(明治神宮外苑側)から四谷三丁目方向(新宿通り)の写真↑右側には、四谷警察署がある。

この町出身の一番の有名人は、なんと言っても「四谷怪談」の主人公、「お岩さん」だろう。

「田宮稲荷神社」(通称、於岩稲荷)は、お岩さんの父、田宮又左衛門の住居にあった社で、婿養子の夫、田宮伊右衛門とともに家盛を再興したお岩さんが信仰していたそうだ。
現在では、都の指定旧跡となっている。


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お岩夫妻は本当は夫婦円満だったというが、鶴屋南北の戯曲『東海道四谷怪談』が世に出ると、怪談話のモデルとしてすっかり有名になった。

芝居や映画で四谷怪談を取り上げる際には、現在でも必ず俳優などが参拝する。
最近では、パワースポットとしても有名らしく、若い女性が参拝しているのをよく見かける。


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すぐ斜め向かいにも、お岩さんと称される「於岩稲荷陽運寺」がある。

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手前右の赤い幟が田宮神社、その先左の赤い幟が陽運寺。

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お岩稲荷の本家争いをしていたと聞いたことがあるが、今はどうなっているのか。

境内には、お岩さんの産湯につかった(と聞いた記憶があるが)井戸が残されている。
井戸にはそのような説明板もないから、産湯というのは根拠のない言い伝えに過ぎなかったのだろう。
子供のころには蓋もなく、隣接する銭湯への行き帰りによく中を覗き込んだものだ。


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お岩さんのすぐ近くには、「須賀神社」がある。ここの町名は、神社に因んで須賀町。
須賀神社は、須佐之男命(すさのおのみこと)(別名 須賀大神)と宇迦能御魂命(稲荷大神)の二柱を主祭神とする。


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牛頭天王(ごずてんのう)はインドの神が仏教に取り入れられたものだが、さらに日本では須佐之男命と習合した。
このため、須賀神社は「天王様」とも称され、子供のころにはもっぱらこちらの名で呼んでいた。

お祭り(例大祭や酉の市)になると、神楽殿では神楽舞が奉納された。
当時は、この向かい側の現在神輿蔵になっているところも神楽殿(舞台)で、こちらでの奉納の方が多かったように記憶している。



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見世物小屋や夜店がたくさん出て賑わった境内広場も、現在ではマンション(写真↓の右建物)が建って狭くなった。

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須賀神社は四谷の総鎮守であり、例大祭「天王祭り」の際には、四谷地区(現在の新宿区になる前は、四谷区として独立していた)の各町内から神輿が出て、神輿行列で四谷の町中を練り歩いた。

台地上の先端に位置する須賀神社から神輿を担いで台地下に下りるときには、この女坂を使う。


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一方の男坂は急峻で、足を滑らせると昔は海水が来ていたという谷底にまで転がり落ちそうだ。

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谷底から先は急な上り坂で、右側には甲州街道の新しい宿場町、内藤新宿の生みの親である高松喜六や江戸時代の国学者、塙保己一の墓がある「愛染院」がある。

さらにその先の右側、現在ではマンションになっているところには、かつてラジオ局の「文化放送」社屋があり、芸能人などがよく出入りしていたものだ。

この坂は、坂の途中の愛染院の反対側にある「東福院」に因んで「東福院坂」と呼ばれるが、須賀神社にちなんで「天王坂」とも呼ばれている。(写真↓は、かつての文化放送側から)


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次回は、これらの坂とお寺にまつわる話を追加する。服部半蔵も登場の予定。




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続 コーヒーあれこれ [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

マレーシアのサラワク州での国立公園調査から帰国しました。

サラワク州滞在中は、国立公園の現場に出ていたり、ネット電波状況が芳しくなくてダウンロードに時間がかかり、皆様のブログに訪問できませんでした。

サラワク州では、中華料理風の食事が中心だった(サラワク州クチンは猫の町!?)。

コーヒーは飲んだものの、スーパーマーケットなどで売っているのはインスタントコーヒー、それも「3in1」というコーヒーとミルクと砂糖が一袋に入ったものばかり。

スーパーの売り場棚には、何種類もの大きな袋が大量に並んでいたが、コーヒー豆やコーヒーを挽いた粉コーヒーは売ってなかった。

私がよく調査に行くインドネシアとは、だいぶ違う。

ということで、前のブログ記事「コーヒーあれこれ」の続編。


どうやら、サラワク州でのコーヒー生産量は少ないらしい。コショウは名産だが。
やっと土産物店で見つけたのが、これ(↓写真)。


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100%ボルネオ・コーヒーのラベル。
その下には、原料のコーヒー豆の種類がリベリカ種との表示。

耳慣れないコーヒーの種類なので、早速調べてみた。
リベリカ種は、アラビカ種、ロブスタ種(カネフォーラ種)とともにコーヒーの3原種だそうだ。



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これ(↑)はインドネシア産のロブスタ種コーヒー豆


リベリカ種は西アフリカのリベリアが原産で、低地でも栽培可能だが、サビ病などに弱く、成熟も遅く、味も劣るなどのため生産量は少なく、流通コーヒーの1~5%程度という。

その味は、苦みが強くて美味しくないという評価と力強いコクがあるという評価と正反対だ。
そのため、自家用や研究用などにわずかに流通しているに過ぎないらしい。

サラワクコーヒー(ボルネオコーヒー)は、その希少さもあり「幻のコーヒー」などとも呼ばれるようだ。
しかし、まだ味わっていないので、私自身は評価できない。

幻のコーヒーといえば、ルワック・コーヒー(Kopi Luwak)も有名だ。

パッケージ(↓写真中央)に描かれているジャコウネコの仲間が食べた糞(写真左)の中に残ったコーヒー豆を洗い出したのが、このルワック・コーヒーだ。

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ルワック・コーヒー生産地(ボルネオ島南ブキット・バリサン国立公園隣接集落にて)

値段は普通のコーヒーの10倍以上。味は多少はまろやかな感じはする。

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ルワック・コーヒーの様々なパッケージ

しかし、前のブログ記事(最高の人生の楽しみ? ルワック・コーヒー)でも書いたとおり、映画『最高の人生の見つけ方』で、ジャック・ニコルソン演じる金持ちの実業家が病室にまで持ち込むほどの気に入り方は、私にはどうも理解できない。

美味しいコーヒーといえば、ドリアン・コーヒーもある。

これは、コーヒーの品種ではなく、インドネシアで調査中に教えてもらった飲み方だ。
コーヒーの中に、ドリアンの実を入れて、溶かして(ほぐして)飲む。

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これも、前のブログ記事(ドリアンの変わった食べ方 グルメな話題2題)でも書いたとおり、スマトラのロブスタ種コーヒーの苦さがマイルドな味にはなるが、ドリアンはドリアンとして食べたほうが良いようにも思う。


これらスマトラ島でのロブスタ種コーヒー生産のために、国立公園の原生林が違法伐採されている現場を見てしまうと、コーヒーの味はよけいにほろ苦くなる(コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える 、 そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査)。


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原生林の違法伐採跡地でのロブスタ種コーヒー栽培
(スマトラ島・南ブキット・バリサン国立公園にて)

最近では、熱帯生物多様性の保全や地域社会の生活安定などの観点から製品をチェックして認証ラベルを交付する運動もずいぶんと広まってきた。

「フェアトレード」や「レインフォレスト・アライアンス」などの認証マークを日本でも見かけるようになってきた。

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左がフェアトレード、右がレインフォレスト・アライアンス


写真(↓)の東海道新幹線の中で飲んだコーヒーにも、緑色のカエルの認証マークが。

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コスタリカのコーヒーにも。

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まあ、あまり難しいことは考えずに、ベトナムやアルバニアのように、のんびりとコーヒーでも飲みたいものですね。

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アルバニアのオープンカフェ(首都ティラナにて)


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朝からコーヒーを飲みながら路上でゲームを楽しむお年寄りたち(ティラナにて)



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朝から住民が集まる道端のカフェ(首都ハノイにて)
↑写真 前回「コーヒーあれこれ」と同じだったので差し替えました


【本ブログ内関連記事リンク】

最高の人生の楽しみ? ルワック・コーヒー

ドリアンの変わった食べ方 グルメな話題2題

コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える

そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査

コーヒーあれこれ

のんびりベトナムコーヒーとオートバイ

アルバニアのんびりカフェ

のんびり時間 のんびり空間 -瀬戸内直島 美術館

自然と癒し -日本人は自然の中でのんびりと過ごせるか


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上記
生物多様性カバー (表).JPGブログ記事のコーヒーなどの生物資源伝播や熱帯林破壊など、本ブログ記事に関連する内容も多数掲載。
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コーヒーあれこれ [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

前回のチョコレートに続いて、今回はコーヒーの話題。

コーヒーの起源、人類の利用には、諸説あるようだ。

野生のコーヒーは、エチオピア高原あたりが原産だったとか。

赤く熟したコーヒーの実は、コーヒーチェリーとも称される。
しかし、高い含有量のカフェインのため、昆虫は寄り付かないようで、天然の殺虫剤でもある。

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コーヒーの実(インドネシア・スマトラ島にて)

古代エジプトやギリシャでは、コーヒーチェリーを食用していたとの説もあるらしいが、はっきりしない。

生のカフェインを最初に体験したのは、家畜のヤギだったともいうが、これも推測の一説にすぎないだろう。
ヤギが元気になるのを見て、人間もコーヒー豆を食するようになったというのだ。

時代はだいぶ経って15世紀後半頃には、イエメンのイスラム教徒(スーフィー教派)が祈祷の最中に眠気覚ましでコーヒーを飲用していたともいう。

飲用の習慣が世界に広まったコーヒーは、イエメンの港町モカから世界に輸出されていった。これが、モカコーヒーの名の由来だ。

ところで、私たちが一般的に飲用するモカ、キリマンジャロ、ブルーマウンテンなどのコーヒー品種は、アラビカ種で、風味とコクに優れている。

一方、近年の世界で取引高が伸びているのはカネフォーラ種ロブスタという豆だ。
19世紀後半にヨーロッパの探検隊によってアフリカのウガンダで発見されたというが、先住のブガンダ族は儀式に用いていたものだ。

このロブスタ種は、アラビカ種よりも耐病性が高く、コーヒーのさび病が東南アジアの植民地プランテーションで大流行した後は、アラビカ種にとって代わって盛んに栽培されるようになった。

低地でも栽培可能で、収穫量も多いが、カフェインが多く、苦みも強い。
このため、単独での飲用よりも、インスタントコーヒーや安いブレンド、自動販売機などのコーヒーとして使用されることが多い。

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ロブスタ種のコーヒー生豆(インドネシア・スマトラ島にて)

高温多湿の低地でも栽培可能なロブスタ種は、わずか1世紀の間にベトナムを世界的なコーヒー生産国に押し上げ、いまや全世界に輸出されている。

ベトナムでは、このロブスタ種コーヒーをコンデンスミルクが底に溜まったコーヒーカップの上に独特のフィルターを置いて淹れる。

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安い店のフィルターはアルミ製(↑写真)だが、少し高級なカフェではステンレス製だ(↓写真)。

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コーヒー豆にも、フィルターがセットで付いているものも多い。

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土産に買ったドリップ付粉コーヒー(右)と深煎りコーヒー豆(左)

フィルターからコーヒーが滴るのには時間がかかるが、その間のんびりと話をしながら待つ。

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気短な日本人には向かないかもしれないが、これぞ本当のコーヒータイムの贅沢ともいうものだろう。

大勢の観光客で賑わうハノイの名所セント・ジョセフ教会前のカフェ。

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路上のオープンカフェでのんびりと過ごす人々の姿は、ここがかつてフランスの植民地だったことを思い出させる。

パリのように洗練されてはいないけどネ(失礼!)

【本ブログ内関連記事リンク】

コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える

のんびりベトナムコーヒーとオートバイ

アルバニアのんびりカフェ

そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査

最高の人生の楽しみ? ルワック・コーヒー


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中国文明と縄文文化 - 兵馬俑展と三内丸山、登呂遺跡 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

東京の国立博物館で開催されている特別展「始皇帝と大兵馬俑」の入場者数が30万人を超えたという。

私も昨年末に展覧会を見てきた。
展示物は写真撮影禁止だが、撮影用に兵馬俑のレプリカコーナーまで用意されているという心遣いだ。
兵馬俑の実物をぜひこの目で見たいと思っていながらまだ実現していないので、良い機会だった。

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中国には何度か訪問したことがあり、北京では「紫禁城(天安門)」のほか、観光客も多い「八達嶺長城(万里の長城)」、「明の十三陵」などを訪問したことがある。
いずれも世界遺産に登録されている。

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天安門

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紫禁城内部

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万里の長城(八達嶺)

紫禁城や万里の長城は、知らない人はいないくらい有名だ。
この二つに比べれば、明の十三陵は知らない人もいるが、中国に現存する皇帝陵墓群としては最大で、明の永楽帝以降13代の皇帝、后妃などの陵墓がある。
写真はデジタル化していないので、割愛。

四川省の成都でも、三国志で有名な劉備、関羽、張飛の三人の英雄と諸葛孔明を祀った「武侯祠・三義廟」などを訪問したことがある。

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三義廟入り口門

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これは諸葛孔明像

中国の明朝の時代は、日本では室町時代から江戸時代にあたる。
三国志の時代は、邪馬台国の前後で、弥生時代に相当するという。

秦の始皇帝の時代はさらに遡って、縄文時代から弥生時代に移行する頃だそうだ。

弥生遺跡は、近年では「吉野ヶ里遺跡」(佐賀県)などが有名だが、私の頭の中ではやはり「登呂遺跡」(静岡県)。
小学校の教科書の写真と言えば、必ずこれだった。
教科書でしか見たことのなかった登呂遺跡を、昨年暮れに初めて訪問した。感激?!

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私の子どもの頃は、弥生時代に入ってやっと農耕が始まり、日本も文明の時代を迎えた(?)ということになっていた。

しかし最近では、「三内丸山遺跡」(青森県)の発掘などにより、縄文時代の文化や生活も脚光を浴びている。(縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡

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集会場あるいは倉庫とも考えられている巨大建物、
左が三内丸山遺跡のシンボル クリの6本柱の櫓

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発掘された柱跡と復元建物

日本の縄文時代に秦の始皇帝は中国を統一し、兵馬俑まで造成している。
さすが中国文明は、世界に先駆けていると感心するところだが、縄文文化にも世界中から再評価の光が当てられるようになってきた。

世界の古代文明が穀類の農耕栽培を基礎として発展したのに対して、縄文文化は狩猟採集を続けつつ、1万年もの間続いたという。
三内丸山遺跡も、数千年も存続した集落だったようだ。
ユニークな土偶や土器は、人々を惹きつける。

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いずれも国立博物館で

数千年も一カ所で続いた集落は、世界でも稀のようだ。
そこでは、狩猟採集とは言っても、私の子供の頃に習ったイメージとはかけ離れた平和で豊かな生活が行われていたらしい。

中国のように武力で統一し、滅んでいくような文明ではなしに、このブログの主題でもある人間と自然とが持続的に共存共栄する生き方があったに違いない。

縄文も捨てたものではない!!!!

【本ブログ内関連記事リンク】

縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡


祝 富士山世界文化遺産登録 -世界遺産をおさらいする


巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵





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日本最初の女性心理学博士の生家を探して - 富岡探訪(続き) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

富岡製糸場を訪れた際、家人の求めで、ある家を探した。

その家とは、日本女性で最初の博士号(Ph.D.)を取得した原口鶴子(旧姓・新井)(以下、「鶴子」)の生家だ。

居住地での男女共同参画の集まりで上映されたドキュメンタリー映画(泉悦子監督『心理学者 原口鶴子の青春』)を見た家人によれば、鶴子は富岡出身で、生家も残されているようなので、ぜひ訪れてみたいという。

事前にWebで調べたところ、誕生は富岡市街から少し離れた一ノ宮だが、生家は富岡製糸場にほど近い中高瀬という地区に移築されているという。

そこで早速、富岡製糸場の受付などで鶴子について尋ねたが、移築された生家についてはもちろん、鶴子自体を誰も知らないという。
郷土が生んだ偉人なのにね。

試しに中高瀬地区まで行って、農協の倉庫事務所で尋ねてみたが、やはり知らないという。
中で一人、自宅近くにそれらしき家があるということで、わざわざ案内してくれたが、結局は分からず仕舞いだった。ご親切にありがとうございました。

それではと、生誕地の一ノ宮に向かった。

ここには、上野国一之宮貫前(ぬきさき)神社がある。以前から、製糸場とともに訪れようと思っていたところだ。

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およそ1500年前の創建と伝えられ、延喜式にも記載されている由緒ある神社だ。
ここの特徴は、何といっても社殿までの参道が”下り”の石段になっていることだろう。
石段を登って社殿に向かう神社はたくさんあるが、下るのは初めてだ。

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拝殿と本殿は、徳川家光の命によって建てられたという極彩色の漆塗りで、国の重要文化財に指定されている。

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本殿

 

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拝殿と彫刻



鶴子は、この一ノ宮地区の裕福な新井家に生まれ、日本女子大学校(現、日本女子大学)英文学部を卒業後、単身で米国コロンビア大学大学院心理学部に留学した。
明治40年(1907年)、鶴子22歳の時である。

留学から5年後、1912年に日本人女性として初のPh.D.を心理学博士号として取得し、当時のニューヨークタイムズ紙にも大きく報じられたそうだ。

ちなみに、女性の博士号取得としては、鶴子よりも早い時期に岡見京子が医学博士号(M.D.)を取得しているという。

後に早稲田大学教授となる原口竹次郎と結婚し、帰国後に母校の日本女子大の教壇に立ち、これからという時に病に倒れ、29歳の若さでこの世を去ってしまった。

この鶴子の生家に関する情報を求めて、貫前神社に隣接する富岡市社会教育会館に立ち寄った。

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この建物は、昭和天皇の陸軍特別大演習行幸(昭和9年1934年)の際の貫前神社参拝を記念して、群馬県民の寄付などにより昭和11年に建設された東国敬神道場が、その前身という。

総ヒノキ造りの長大な建物で、国の登録有形文化財にも登録されている。
内部には部屋数も多く、最近まで児童などの宿泊研修にも使用されていたという。
和洋折衷のような広いフロアの部屋は、講演会のほか、ダンス講習会などにも使用されることがある。

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ここで生家について尋ねたところ、さすがに社会教育会館だけあって、その移築先まで教えてくれた。
先のドキュメンタリー映画も、この会館で今年(2015年)春に2回上映され、満員盛況だったという。

それにしては、鶴子の偉業は、富岡市民の中にまだまだ浸透していないようだ。

再び製糸場の近くの、移築された生家を探し回った中高瀬地区まで戻った。
迷った挙句、細い路地に面した、教えられた現在の所有者のお宅を探し出した。

午前中から何度も行き来したところだ。
およその見当は、間違っていなかったようだ。

こうして、やっと鶴子の生家を見ることができた。

ベランダ付きのモダンな建物だったという生家は、だいぶ改築はされているとはいうものの、もともとしっかりした造りで、100年以上経った現在でも使用に耐えているという。

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突然訪れた見ず知らずの訪問者にもかかわらず、家の中に入ってのお茶まで勧めてくださったが、さすがに恐縮してお断りした。
おもてなしのご厚意には、ただただ感謝するばかり。


安部政権では、「女性の活躍」政策が目玉の一つのようだけれども、鶴子のような女性の存在を広く認識してもらうことも、その一歩かと思う。

かく言う私も、家人からの鶴子生家訪問の求めが無ければ、鶴子の存在自体を知らなかった一人だが・・・

『女が変わる 男が変わる 社会が変わる』(第41回婦人週間標語)


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世界遺産富岡製糸場 ― 殖産興業と工女 「花燃ゆ」の時代 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

昨年(2014年)の世界文化遺産登録でにわかに脚光を浴びた「富岡製糸場」(登録名称は「富岡製糸場と絹産業遺産群」)を、およそ1か月前の9月末に訪問した。

明治維新後の「富国強兵」「殖産興業」の政策の下、各地に官営工場が開設されたが、明治5年(1872年)に設置された富岡製糸場もその一つだ。


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当時、最大の輸出品だった生糸を増産して国力を高めるために、フランス人ポール・ブリュナの指導の下、洋式の設備と技術を備えた模範工場として開設された。

上野国(現在の群馬県)はもともと養蚕が盛んで、工場操業のための水や燃料の石炭の確保も容易だったことなどから、富岡に工場が立地されたという。

NHK大河ドラマ『花燃ゆ』に登場する初代の群馬県令(知事)楫取素彦(小田村伊之助)は、この富岡製糸場の存続と製糸業発展に尽力を尽くした一人だ。

工場敷地の入口門の正面に飛び込んでくるレンガ造りの建物は、100mを超える長さの「東置繭所」で、国宝に指定されている。


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木材で骨格を作り、その間にレンガをはめ込んだ木骨レンガ造りという工法で建設されている。レンガは、通常の平積みの間に小口部分を表に縦方向に交互に積んでいく、フランス積みと呼ばれる方法で積まれている。

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建物は、その名のとおり繭を保管するための建物で、通風のために窓がたくさんある。

屋根は日本風の瓦葺きで、2階にはベランダも付いている和洋折衷だ。


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世界遺産に登録された現在では、富岡製糸場や養蚕のの歴史などの展示場となっている。
桑の葉を食べるカイコも展示されている。


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「繰糸所」も国宝に指定されている建物だ。ここにはフランス式製糸機が設置され、まさに工場として製糸場の中心で、多くの工女が働いていた。

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内部の機械類は建設当時のものではないが、1987年(昭和62年)に操業を停止するまで使用されていた機械が、タイムカプセルのように残されている。

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そのほか、建設に携わったブリュナ一家が住んだ通称ブリュナ館とも呼ばれる「首長館」も重要文化財に指定されている。

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ブリュナがフランスから連れてきた女性指導者達の宿舎だった「女工館」(重要文化財)も残っている。
フランス人女性達はほどなく帰国してしまい、その後は役員宿舎や工女の食堂などとして利用されていたという。


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群馬県と同様に古くから養蚕が盛んな長野県の岡谷や諏訪の製糸工場では、過酷な労働を強いられて働く女性労働者姿は、細井和喜蔵のルポ「女工哀史」や山本茂美のノンフィクション『あゝ野麦峠』(映画化も)で知られる悲惨な暮らしのイメージが強い。

一方、富岡製糸場では、女性労働者は、「女工」ではなく、「工女」と呼ばれていた。休日制度など労働環境にも恵まれており、上流階級出身の子女も多かったとか。

ある程度経験を積んだ工女は、それぞれの出身地に戻り、そこで指導的な役割を演じたそうだ。まさに、官営模範工場の目的達成、工女たちは全国にその技術を伝授する先兵となったのだ。

世界遺産登録もあって、このところテレビや新聞など(例えば、NHK「歴史秘話ヒストリア」など)でもよく取り上げられて知られるようになった。

その工女たちの「寄宿舎」も残されている(時代は、明治ではないが)。左の建物が妙義寮、右が浅間寮。


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これらの工場群は、当初の官営の後、三井家に払い下げられ、さらに横浜の三溪園で有名な実業家、原一族の原合名会社、当時最大の繊維企業の片倉製糸(現、片倉工業)と変遷を経てきた。

最後の所有者片倉工業は、1987年の工場操業休止後も、莫大な維持管理費を負担しつつ工場群を保存してきた。

その後、世界遺産登録も間近になった2005年に国史跡に指定されると、地元富岡市に寄贈(土地は売却、建物は無償譲渡)され、今日では市が管理している。

金儲けにもならないどころか、莫大な費用がかかることを20年近くも続けてきた民間企業の活動には、頭が下がる思いだ。

企業のメセナとかCSRとかが話題になるけど、宣伝のためと疑いたくなるものもある中で、片倉工業の姿勢には、見習うべきことが多い。


ところで、この富岡製糸場に次いで、今年(2015年)には「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。こちらにも、八幡製鉄所、長崎造船所、三池炭鉱などの官営工場が含まれている。

登録決定に際しては、長い歴史の中で一部施設において、日本の植民地だった朝鮮半島出身者が強制労働させられたということで、韓国は登録に反対した。

その後も、今年の世界記憶遺産の登録では、中国が提出して登録された「南京大虐殺の記録」に対して日本は反対し、菅官房長は世界遺産事務局のユネスコに対する分担金や拠出金の支払い停止を検討していると発言した。

一方で、日本が提出し登録された記憶遺産「シベリア抑留」に対しては、ロシアが登録撤回を求めている。

2年後には、中国と韓国が共同で「慰安婦の資料」の記憶遺産登録をめざす動きがあると報じられている。

それぞれの国の言い分もあるだろうが、世界遺産もずいぶん政治臭くなってきたものだ。
いや、発足当初からヨーロッパ諸国に主導されているなど、もともと政治臭いものとの考えもあるが。

世界遺産には、人類の栄光の軌跡だけではなく、過去の過ちを二度と起こさないための負の遺産もある。広島原爆ドームやアウシュビッツがそれだ。

自国の主張を繰り返すだけではなく、歴史から学ぶ反省材料を謙虚に受け止めて、人類の共通の遺産として後世に残していくことができる、度量のある国々で成り立つ世界にならないかなぁ~

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並木道を再考する  - 町並みと景観(4) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

前回のポストや電話ボックスは、いわば町並み景観のアクセント、つまり点のアイテムだ(本ブログ記事「レトロな郵便ポスト 点の町並みアイテム - 町並みと景観(3)」)。

これらに対して、線のアイテムと言えば、電柱(本ブログ「電柱のビフォー・アフター - 町並みと景観(2)」)のほかに、並木(街路樹)がある。

日本各地には、街に潤いを与え、ランドマークとなっているような並木がたくさんある。

伊豆高原(静岡県伊東市)の桜並木道は、今では観光名所ともなっている。

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満開の桜並木(伊豆高原にて2010年3月)

昔からの神社の参道も、並木として町の景観を形成している。

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武蔵一宮の氷川神社(埼玉県さいたま市)の参道(2013年9月)

東京の代表的な並木道のひとつに、明治神宮表参道のケヤキ並木がある。
これも、その名のとおり神社参道として作られてものだ。

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明治神宮まで続く表参道のケヤキ並木(2015年9月)

その証拠は、名前だけではなく、青山通りからのスタート地点の巨大な石燈籠だ。

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青山通りにも並木はあるが、こちらは表参道を見た後では、どうしても見劣りしてしまう。
それもそのはず、青山通りは前回の東京オリンピックを契機に拡張されて、その際に並木も植えられた。


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青山通りの並木(2015年9月)


つまり、高々50年の並木道と100年の並木道との歴史の差ということだ。
それにしても、明治天皇が祭神とはいえ、100年前にこの幅の道路と並木を造成した先人に敬意を表したい。

ちなみに、表参道には、大正末から昭和初期の懐かしい、そしてモダンな風景の一つ、同潤会アパートがあった。

現在では建て替えられて、安藤忠雄氏設計の表参道ヒルズとなっているが、その一角には解体を惜しむ声に押されて昔のアパートが部分的に残されている。

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表参道ヒルズの一角に残されたツタの絡まる同潤会アパート建物(2015年9月)

そこからすぐ近くの明治神宮外苑のイチョウ並木も、秋の黄葉シーズンには、カレンダーなどに必ず登場する定番の風景となっている。

ここで撮影されたドラマのデートシーンも数知れないだろう。


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黄葉にはまだ早い神宮外苑イチョウ並木(突き当りは、聖徳記念絵画館)(2015年9月)

最近では、表参道のケヤキ並木はクリスマスの電飾の風景でも有名だ。

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こちらは、丸の内ビジネス街(東京都千代田区)の電飾並木(2012年12月)


これらの並木も、日本では秋を迎える前に枝が強度に剪定されて、樹形が貧相になってしまうことが多い。

台風シーズンの枝折れや倒木による歩行者や車両への被害などを心配してのことだ。
信号機が見えなくなるという交通安全上の理由もあるらしい。

もともと道路敷地が狭いうえに、盆栽仕立ての風土もあるのも理由だろう。

一方で、剪定をほとんどしない管理方針(無剪定街路樹)を採用する自治体も最近では増加している。自由な枝張りにより根付きもよくなり、倒木も少ないという。

 

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 道路に覆いかぶさり緑のトンネルを形成している無剪定街路樹
(バンクーバー(カナダ)にて2003年8月)

先の表参道の並木(↑)も、枝が車道にまで広がっている。


昨今のような猛暑の日々には、街路樹による緑陰が欲しくなる。
信号やバス停で待つ時にも、緑陰があるとホッとする。

しかし、毎年の剪定で枝が伸びなくては、緑陰もなくなってしまう。
並木を歩く人々も暑そうだし、ヒートアイランドによる地球温暖化防止の観点からもやはり緑陰は欲しい。

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緑陰の少ない並木を歩く人々(府中市(東京都)にて2012年8月)

もっとも最近の街路樹剪定の理由は、台風対策だけでもなさそうだ。

落ち葉や毛虫などの害虫、さらには緑陰そのものも洗濯物が乾かないといった理由で苦情の種となる。

街全体の景観や潤い、落ち着きといったことよりも、個人の生活を優先する風潮。

日本だけではなく、海外でも"NIMBY"(ニンビィ)として問題になっている。

そして、幼児・子どもによる騒音なども含め、いろいろなところで寛容度が少なくなってきている気もする。


町並み景観と個人の生活。

その両立のためのレシピはどこかにないだろうか?

並木もないような味気ない街は御免だ。


今度の東京オリンピックは、東京の街にどのようなレガシーを残してくれるのだろう。



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レトロな郵便ポスト 点の町並みアイテム - 町並みと景観(3)

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レトロな郵便ポスト 点の町並みアイテム - 町並みと景観(3) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

古い町並みの中の紅一点、レトロな丸型の郵便ポストは、景観に溶け込んでいる。

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栃木市蔵の街(栃木県)にて

鄙びた風情を残す温泉場の路地の突き当りにも郵便ポスト

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有馬温泉(兵庫県)にて

このポストも、かつては“モダン”と言われた時代もあったのだろう。

町並みの看板の色使いで赤は避けられていた(本ブログ「奇妙な看板?! - 町並みと景観」)が、このポストだけは別扱いだ。


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北野異人館街(神戸市)にて

周囲はビルが立ち並ぶ中で、旧家の店蔵の白壁とポストの赤のコントラストは、自転車で通過する人も含めて、そこだけ時間が止まったようだ。

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春日部市粕壁(埼玉県)にて

九州大学での学会の折、知人に連れて行ってもらった海鮮料理屋のある今宿駅(JR筑肥線)のなまこ壁のレトロな駅舎。
その脇の郵便ポストは現代風の角型。丸型ならもっと絵になる?


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今宿駅前(福岡県)にて

丸型ポストは、今では、郵便局のサービス用小物(貯金箱)のデザインにまで採用されている。

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郵便ポストは、いわば町並み景観の中での「点のアイテム」だ。

点のアイテムには、最近各地で見かけるようになってきた街路彫刻もある。

かつての環境庁では、「アメニティー・タウン」の一例として、この街路彫刻をよく取り上げていた。

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麹町(東京)付近の歩道で

町中の点のアイテムには、かつては「公衆電話ボックス」もあった。

クリーム色の外壁に赤い屋根(丹頂型)のいかついボックスだ。覚えている方は、もう少ない?(残念ながら、写真はありません)

こちらの方は丸型郵便ポストほどには景観に馴染んでいない。

私もかつての国立公園管理事務所勤務時代には、全国一律の電話ボックスの色・デザインを国立公園内だけでも自然に馴染むように変更してもらえないか電話局に頼み込んだことがある。

しかし、当時の「電電公社」(日本電信電話公社)は、法律(自然公園法)上は国の機関だったから、民間の看板や建物の変更のようにはいかなかった。こちらが“指導”するのではなく、対等に“協議”する相手だったのだ。

電柱(民間の電力会社の電柱ほかに、電電公社設置の電柱もある)のほうは、もともとが木柱だったから、鋼管柱などに変わっても、比較的容易に樹木と同様の茶色の彩色は受け入れてもらえた。


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茶色に彩色された鋼管柱(尾瀬国立公園鳩待峠付近にて)

それでも、電柱の着色には余分な金額がかかるから、国立公園以外ではあまり見かけない。

入口ゲートが設置されていない日本の国立公園では、電柱の色が変わることで国立公園域内に入ったことがわかる?

しばらくして、観光地をはじめ、街中では全国一律のデザインとは異なった、ユニークな電話ボックスを見かけるようになった。

ひょっとしたら、電電公社から民間のNTTに変わったせい?


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北春日部駅前(埼玉県)にて
残念ながら、観光地のユニークな電話ボックスの写真はない


そんなことなら、もっと早くから国立公園内のボックスの変更もしてくれればよかったのに!!

そんな愚痴ももう遅い?

携帯電話の普及で、電話ボックス自体が絶滅危惧種なのだ!


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電柱のビフォー・アフター -町並みと景観(2) [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

前回に続いて、関西方面への旅からの景観の話題。

世界遺産の清水寺への参道の一つで、外国人も含めた観光客も多い京都の産寧坂(三年坂)だが、町並みをよく見ると何やら無粋なものがある。

全国どこにでもある「電柱」だ。

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産寧坂にて(2003年)

せっかくの伝統的な町並みも、これでは台無しだ。

これ↑は、2003年時の写真だが、現在(2015年)では電線は地下埋設となり、電柱も撤去されている↓。

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産寧坂にて(2015年)


前回紹介した「妻籠」(長野県)では、江戸時代の町並みを復元するために、電柱・電線はメインストリート?ではなくて、建物の裏手を通すように住民も協力したという。

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妻籠にて(1999年)

一方で、同じく前回紹介のつるぎ町貞光(徳島県)の「二層うだつ町並み」では、残念ながら電柱がせっかくの町並み景観を邪魔している。

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貞光にて(2010年)

日本の町並み景観を阻害しているのは電柱だ、という声はよく聞く。

戦後復興とそれに続く高度経済成長の時代には町並み景観への配慮の余裕もなかった。

それだけではない。電気が通じて便利になることに、誰も異存はなかった。むしろ誇らしかった?

私の街でも相変わらずの電柱と電線。
これも昭和のレトロを彷彿させる?

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昭和の電柱と言えば、木柱はほとんど見かけなくなった。

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最近では珍しくなった木柱

以前ブログでも紹介した私が勤務していた40年ほど前の国立公園の管理現場では、電柱の多くが木柱で、クレオソート塗の黒色か、茶色だった。

少しずつ、鋼管柱、コンクリート柱が出現して、風景に馴染むように茶色に着色することを許可条件に付していた。現在でも、国立公園内で見ることができる。

本当は地下埋設にしてほしかったが、費用がかかり、とても受け入れてもらえなかった。

しかし、経済的にも豊かになるにつれ、最近では、多額の費用がかかっても電線の地下埋設を進めるようになってきた。

必ずしも観光地ばかりではなく、一般の居住地でもそうだ。

居住地近くの国道1号線も、電線の地下埋設でずいぶんとスッキリした。
なんだか空が広くなった感じだ。

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地下埋設の点検口(歩道上)とキュービクル(高圧受電設備)(中央薄緑色の箱)

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写真の鳥居と信号までは地下埋設済み、その先は従来の電柱のまま(国道1号線)

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もっとも、邪魔者のような電柱にも、こんな使い方もある。

道路両側の電柱を夏祭りのアーチ状広告幕(横断幕)の支柱にしている。
まァ、一時的だからいいか!

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米国カリフォルニア州の砂漠では、道路がどこまでも一直線に続いている。

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デス・バレー付近にて(米国カリフォルニア州 2002年)

この砂漠で、道沿い(写真右側)に連なる電柱は、砂嵐の際の道しるべにもなる。

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さらに、人間の文明が自然を征服した証しとして、心強い象徴でもあるのだ。

現代の日本の街中の電柱には、そこまでの思い入れはないだろう。

もうそろそろ、文明開化で電気が灯った驚きと喜びからは卒業しても良いと思うけど。


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奇妙な看板?!  - 町並みと景観 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

旅先でみた見慣れない、いや見慣れた?看板。

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そう、ご存知の有名コーヒーチェーン店のロゴだ。
緑のロゴが、黒になっている!!

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北野異人館街(神戸市) 2015年

本ブログ記事では、撮影時と現在では状況が変わっている可能性もあるので、撮影年を記します。

場所は、異人館の町並みが残っている神戸の北野。

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うろこの館


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風見鶏の館

これもご存じ、全国チェーンのコンビニのロゴ。

緑や赤・オレンジの企業カラーではなくて、黒色に統一されていた。

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ここまでの統一性には違和感を持つ人もいるかもしれない。

これを奇妙とみるかどうかは、人それぞれかもしれない。


しかし、伝統的な街並み景観の保全などには、ある程度の統一も必要だ。

町並み保存で有名な妻籠(長野県)でも、江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気の看板で統一されている。

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妻籠宿(1999年当時)


妻籠だけではない。世界遺産の白川郷(岐阜県)でも、そうだ。


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白川郷のバスターミナル付近の食堂・売店の看板 2013年


「二層うだつ」で有名な貞光(徳島県つるぎ町)。

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「うだつが上がる」の2層のうだつの家並みが続く貞光 2010年

そこの電気屋さんは、近代的な商売とはとても思えない店づくりと看板だ。


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日本だけではなくアジアの多くの町がそうだが、街中の看板はカラフルで、時には猥雑でもある。

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道路にまではみ出た看板 香港 2008年

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食い倒れの街 大阪 道頓堀 2006年



かつての職場である国立公園管理の現場では、景観の保全のために看板や工作物の色を結構厳しく制限していた。

香港や大阪と同様に看板は目立たなくては意味がない、と信じる申請者(看板設置の許可が必要)とのし烈な攻防(?)もあった。

地域全体で統一がとれていれば、必ずしも目立つ色彩でなくとも案内表示としての機能は十分発揮されると思うけど・・・。 自分だけ目立とうとするなんて、ズルイ!!

40年前の私にとって初めての現地の職場、十和田八幡平国立公園の十和田湖探訪の拠点、休屋(青森県)。

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そこでは看板は、原則として茶色(または黒色)の木地に白色文字と相場は決まっていた。屋根の色も、原則茶系統だった。

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茶色木地に白文字の看板(休屋にて 2010年)
下↓の写真の右側のアップ

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今では、観光客の減少により、かつては修学旅行や団体客で大繁盛した大規模な土産物売店・食堂なども閉店され、店頭の自動販売機を覆うブルーシートがやけに目立って、かえって物悲しい。

40年前に躍起になって町並みの看板を統一しようとしていた私には、神戸北野異人館の看板の色彩変更・統一には、少々羨ましい気がする。

緑地のコーヒーチェーン店のロゴが黒なのは、正直なところ、そこまでしなくてもとも感じるけれど。

いや、国立公園の各地では、当の昔に看板だけでなく、電柱や落石防止のネットの色までも茶色など目立たない色になっていた(手元にデジタル写真が無いので、ご覧いただけないが)。

私だけでなく、私よりも20年以上もの先輩も含めて、かつての国立公園レンジャーの長年の努力の積み重ねの結果だ。


看板に限らないが、「自由」をはき違えて、自分の営業・金儲けしか念頭にないのも困ったものだ。

一方で、自分のかつての仕事を棚に上げるようで恐縮だが、「統一」のために強制されるのは大嫌いだ。

報道も含めて、強制的な統一が前面に出てきそうな昨今、多民族国家インドネシアの国是『多様性の中の統一』の微妙なバランス感が妙に懐かしい。


(別の機会に、町並みや建築物自体の景観についての記事をアップします。)

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【著作紹介】

 「国立公園」管理の日米比較など、国立公園・世界遺産をはじめとする保護地域の誕生、地域社会との関係、その他「自然保護の必要性」など、本記事にも関連する内容も豊富。

生物多様性カバー (表).JPG高橋進著 『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』 明石書店
第2刷 発売中

 生物多様性とは何か。生物多様性保全の必要性、これからの社会を持続するための3つの共生など。
 
世界は自然保護でなぜ対立するのか。スパイスの大航海時代から遺伝子組換えの現代までを見据えて、生物多様性や保護地域と私たちの生活をわかりやすく解説。
 
 本ブログ記事も多数掲載。豊富な写真は、すべて筆者の撮影。
  
 目次、概要などは、下記↓のブログ記事、あるいはアマゾン、紀伊国屋、丸善その他書店のWEBなどの本書案内をご参照ください。

  『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版1

 『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版2 ―第Ⅱ部 国立公園・自然保護地域をめぐる国際関係 

 インドネシアの生物多様性と開発援助 ―『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版3

 対立を超えて ―『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版4 



これまでたくさんのniceをありがとうございました。
はなはだ勝手ながら、前の記事より都合により当分の間、niceを閉じさせていただきます。

 


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京都 賑わいの内と外 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

京都に5月下旬と6月中旬に続けて訪れる機会があった。

日本が世界遺産条約(1972年)を批准したのが条約成立から20年後の1992年。その翌年1993年に、姫路城(本ブログ記事「新装開店?! 美しすぎる『姫路城』」参照)と古都奈良が文化遺産に、屋久島と白神山地が自然遺産に登録された。

京都はその翌年1994年に「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録された。やはり、都が置かれた年代でも、奈良にはかなわない?

京都市内(正確には、宇治市(平等院)と大津市(延暦寺)を含む)の17の社寺と城(二条城)が世界遺産の構成資産として登録され、それらを含む3万ヘクタール弱の区域が、緩衝地帯および歴史的環境調整区域になっている。

ちなみに、構成資産(いわゆる世界遺産登録)は、上賀茂神社、下鴨神社、東寺、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺、金閣寺、銀閣寺、龍安寺、西本願寺、二条城だ(いずれも、通称名)。

世界遺産に登録されている清水寺や金閣寺などは、修学旅行生も含めた団体観光客も多く、最近では特に外国人観光客が多い。

そういえば、東京都内の中学と高校を卒業した私も、修学旅行では二度とも京都に来たことを思い出した。

今回(5月下旬)の京都訪問でも、清水寺の舞台は多くの観光客で賑わっていた。


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清水寺までの参道も人でごった返していて、自由に進めないほどだった。

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世界遺産には登録されていないが、外国人にバカ受けなのが伏見稲荷大社だ。全国に3万あるというお稲荷さんの総本社だという。

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なかでも外国人観光客を魅了するのは、奥社などのある稲荷山までの数千本におよぶ朱塗りの鳥居の列だ。

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このおかげで、旅行口コミサイトのネット投票では、「外国人に人気の日本の観光スポット」として2014年度の第1位になったそうだ。


しかし、観光客で賑わう場所は、むしろ敬遠したくなるのも人情だ。へそ曲がりの私だから?

清水寺でも、本堂舞台(清水の舞台)はひどい混雑で、音羽の滝には長蛇の列だが、少し離れた三重塔まで行くと、人はぐっと少なくなる。


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さらに、清水寺から山道続きで徒歩15分ほどの距離にある清閑寺まで行くと、訪れる人はほとんどいない。

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訪れたのは5月末で、ツツジが美しい


かつて境内にあった茶室の郭公亭では、西郷隆盛と清水寺成就院住持の月照が王政復古の謀議をしたというから、日本の歴史を動かした寺院と言っても良いかもしれない。

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郭公亭跡を示す碑


この6月(先週)、高校時代からの友人の京大名誉教授に案内されて訪れたのは、やはり人出の少ない東福寺と泉涌寺だ。どちらも、世界遺産ではない。

京都五山の一つ東福寺は、創建750年の歴史を有し、壮大な伽藍で知られている。



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東福寺の本堂

境内にある長い建物は、なんと昔のトイレとか!!

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同じく境内の通天橋などは、紅葉シーズンには大混雑だそうだが、梅雨の時期にはひっそりとしている。紅葉も良いが、露に濡れた緑もまた風情があると思うけどネ。

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東福寺から泉涌寺までの徒歩の途中には、尺八で有名な明暗寺が。

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そういえば、昔見た時代劇映画の虚無僧は、「明暗」と書かれた箱(偈箱(げばこ)というらしい)を首からぶら下げていたっけ。

皇室と深いかかわりのある泉涌寺も、すり鉢状の底部に位置する仏殿がひっそりと出迎えてくれた。


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皇室の菩提所ともなっている月輪陵(つきのわみささぎ)には、多くの天皇などが祀られている。

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観光客で賑わう京都、ひっそりと佇む京都。

いずれも京都の姿である。

人気の高さと真の価値が一致しているかどうかの判断は難しいところだ。


まァ、人それぞれの好みもあるでしょうけどネ。人間の評価も同様?!

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新装開店?! 美しすぎる『姫路城』

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新装開店?! 美しすぎる『姫路城』 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

5年間を費やした平成の大修理が終了した姫路城を5月末に訪問した。

国宝指定の4城郭(姫路城、犬山城、彦根城、松本城)と国宝指定答申を受けた松江城。
これらの中でも、姫路城は別格の感じだ。

なにしろ、日本で最初(1993年)の「世界遺産」登録対象の一つなのだ(同時に世界遺産登録されたのは、文化遺産では法隆寺、自然遺産では屋久島と白神山地)。

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大天守と三つの小天守が重なり合う「連立式天守」の姫路城。
その優雅な形に加え、「白鷺城」の別名でも知られているとおり、色白でもある。

犬山城や松本城など、それまでの天守閣の黒板張りがないのが特徴だ。

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写真は犬山城(2007年3月訪問)

これは、「白漆喰総塗籠」といって、下木地が見えないように漆喰を塗りこめて、火災や火縄銃による延焼に備えたものという。

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下からみると、屋根まで真っ白で、化粧のし過ぎとの声も多いらしいが、屋根瓦の継ぎ目の漆喰目地が浮き出ているためで、瓦そのものは黒色だ。時間の経過とともに、落ち着いていく、というか漆喰も汚れていくに違いない。

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瓦の屋根目地 遠方は、西の丸の「百間廊下」「千姫化粧櫓」方面。

白鷺城の名に恥じない、「白すぎる」姫路城を見るなら、今のうちかもしれない。

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3月末のグランドオープンから間もないこともあり、新装なった天守閣を見学しようという観光客でごった返していた。

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混雑する入口発券所

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天守閣最上階(6階)も人で混雑


その天守閣最上階には、「長壁(刑部)神社」が祀られている

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天守閣の巨大な柱材「東大柱」と「西大柱」は、地階から5階までの1本の通し柱だ

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槍などを掛けた「武具掛け」



天守閣や周囲の塀には、矢や鉄砲を放つための「狭間(さま)」という窓(穴)が総計997もあるとか

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敵の侵入を防いだ門脇の石積みには、石不足のために古墳の石棺の石材も転用されたという(備前門)

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城内には、怪談歌舞伎『番町皿屋敷』の源ともなったという、有名なお菊が投げ込まれた井戸も残っている(こちらは「播州皿屋敷」)

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【本ブログ内関連記事】

祝 富士山世界文化遺産登録 -世界遺産をおさらいする

原爆ドームと被爆樹木 -世界平和への願いを込めて

一番人気の世界遺産 空中都市 マチュピチュ


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榛名神社の御姿岩 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 榛名神社(群馬県)は、延喜式の昔からの由緒ある神社だ。最近は、パワースポットとしても有名らしい。

 神社の本社は、背後に屹立する奇岩「御姿岩」の岩奥にまで連なり、そこに御神体が祀られている。

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双龍門から御姿岩を望む

 

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 本殿は御姿岩の岩奥まで組み込まれている   



 磐座は、巨樹とともに、自然界の神が鎮座するものとして古代から崇められてきた。いわば原始神道、アニミズムの象徴でもある。

 日本最古の神社の一つ、奈良県の大神神社のご神体は三輪山そのものであり、本殿もなく、あるのは社殿だけという。

 山や巨樹などを信仰の対象とするアニミズムは、日本だけではなく世界共通のものだった。

 箱根山をはじめ、各地から地震や噴火の兆しなどが伝えられている。

 何やら山の神々が、現下の人間界の営み ― 安保法制制定、教育制度改変などなどに警告を発しているのかも・・・  と古代の人々なら考えたに違いない?

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麓では盛りを過ぎたミツバツツジやヤマツツジも、ここでは今が盛り

 

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榛名神社近くの榛名湖と榛名富士

 

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伊香保温泉の名物、石段と商店街

 

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伊香保温泉からは雪の谷川岳などの山々も(ハワイ王国公使別邸公園から)

 

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ウツギ?の花も今が盛り




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冬至とクリスマスの間

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縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡


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ランドセルと多様性 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 新年度が始まり、新入生や新社会人も張り切っているに違いない。
小学1年生が背中一杯の大きなランドセルを背負って元気に登校している姿を見るのは、何とも微笑ましい。

 そのランドセルも、私たちの頃と比べると、ずいぶんカラフルになってきた。
なかでも女生徒には水色が目立つ(あとピンク色も)のは、私の居住地での流行だろうか。

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女児にカメラを向けると通報されそうで写真はありません(笑)
フリー素材を使用させてもらいます


 私の頃は、男子は黒、女子は赤、と相場は決まっていた。
下手に変わった色のランドセル(そもそもなかったが)でも背負おうものなら、生徒だけでなく、親までもが変わり者と思われただろう。

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私の子どもが使用した四半世紀前のランドセル


 そんな時代からみれば、ずいぶんと選択の幅も広くなってきた。

 しかし、個性を尊重するなら、売る方も買う方(選ぶ方)も、水色やピンク色以外に、黄色や緑色、紫色など、さまざまな色のランドセルがあってもよいと思う(ひょっとするとあるのかもしれないが)。

 なぜ例の女の子たちは、揃いも揃って水色(せいぜいピンク色)だったのだろうか。

 きっと孫のランドセルを買ってあげる祖父母の意識が、まだそこまでのカラフルさを受け付けないのかもしれない。あるいは選ぶ子供たちも、自分の好みとは別に、あまりに他人とかけ離れた色には抵抗があるのかもしれない。メーカーも、販売数の少ない色を取りそろえて生産する余裕もないのかもしれない。


 小学生の通学カバン。海外ではどうだろう。
 それほど多くもない観察事例だが、西欧ではむしろ上流階級(?)の私立学校で制服が決まっていることが多いが、カバンまでは決められていないと思う。

 決められているわけではないと思うが、国際会議で訪問したノルウェーでは、凍り付いた道路を歩くのに両手を空けておいた方がよいのか、フレーム付きのリュックが流行っていたようだ。

 意外だが、むしろ途上国の方が制服らしいものが決まっている例が多いように思う。しかし、カバンまで決められているというのは記憶にない。


 私が研究で通うインドネシアでは、制服は決まっているが、ランドセルに相当するのは思い思いのリュックだ。「制服の多様性と画一性 ―インドネシア 多様性の中の統一

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この地域の小学生はショルダーが流行り?
(インドネシア・ジャワ島で)

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思い思いのリュックやショルダーを
(インドネシア・スマトラ島にて)

インドネシアの小学生は赤いズボン・スカートが制服(上の写真も)

 国際学会で昨年訪問したブータンでは、やはり制服代わりの伝統的民族衣装と弁当を入れるカラフルな手提げカゴが定番で、あとはリュックだった。「ブータン報告 その2
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弁当用のカラフルな手提げカゴとリュック

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男子も弁当用の手提げカゴにリュック

女児は「キラ」男児は「ゴ」という伝統民族衣装が制服
(上・下とも、ブータンのブムタンにて)


 どこでも、緩やかな規範や流行の枠内で、それぞれの個性を発揮しているようだ。これこそ、まさに多様性というものだろう。

 件の水色のランドセルに関しては、たまたま私が目にした近所の小学校での流行色が、水色だったということかもしれない。

 しかし、小学生のうちから、自分の好み、個性よりも、流行を追って画一化するようでは、その後の意識と行動も推して知るべしというところだ。これも、親や祖父母によって形成されていくのかもしれないが。

 いやいや、ランドセルの色の前に、いつまでも兵隊の背嚢の名残りを背負うこと自体から多様化しないとネ。
 
 とも思うが、最近は外国人にまでこのランドセルが“クール”と称賛されているらしいから、わからないものだ。



【ブログ内関連記事】

タイガーマスク運動 ―ランドセルと多様性

制服の多様性と画一性 ―インドネシア 多様性の中の統一

ブータン報告 その2

形から入る ―山ガールから考える多様性

 

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冬至とクリスマスの間 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 今日12月23日は天皇誕生日の休日。たまたま(といっては失礼だが)今上天皇の誕生日をお祝いする日だが、この天皇誕生日の祝日(国民の祝日)もすでに四半世紀になった。

 でも、世界中で、もっと昔からお祝いされている誕生日がある。それが12月25日、キリスト生誕(降誕)のクリスマスだ。

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クリスマスの飾りつけをした市庁舎(パラマッタ・オーストラリアにて)
夏のクリスマスはちょっと感じが出ない?



 キリストの本当の誕生日は不明だが、既にローマ時代には12月25日がキリストの誕生日と公認されたそうだ。しかし、その日付は、キリスト教伝播以前からヨーロッパ各地の風習となっていた「冬至祭り」が由来ともいわれている。キリスト教布教の初期の時代に、異教徒にキリスト教が取り入れられやすくするため、昔からの地元の風習をキリスト教の行事に取り入れたという。

 つまり、冬至とクリスマスは、繋がっているのだ。

 冬至は一年で最も昼間の時間が短くなる日で、日本では中国由来の二十四節気の一つだ。今年12月22日の冬至は、月が一晩中見えない旧暦11月1日の新月と重なり、19年ぶりの「朔旦冬至」となった。

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冬至の日の富士山(湘南海岸から)

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冬至の太陽高度は一番低い
陽光の海面(遠方の水平線上は伊豆大島)


 日本ではこの日には柚子湯に入ったり、カボチャを食べたりする風習がある。もっとも、カボチャはラテンアメリカ原産で、コロンブスの大航海時代以降にヨーロッパ経由でもたらされたものだけれどもね(本ブログ記事「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで」 ほか参照)。

 ところで、ヨーロッパの冬至は、日本よりもさらに昼間の時間が短い、と言うか、昼間が無いに等しい。高緯度地方ほど、その傾向は強い。一日中太陽が沈まない、夏の白夜の逆だ。

 そうなると、太陽が恋しくなるのは洋の東西を問わない。精神的にもだが、人間は日光を浴びることでビタミンDを体内で造りだしているという生理的な理由もある。そして、農耕にも太陽光は必須だ。

 さまざまな理由から、世界各地には古代から太陽信仰がある。日本でも、日本神話にも登場し、皇室の祖神として伊勢神宮にも祀られている天照大御神(あまてらすおおみのかみ)は、太陽神のひとつだ。

 長く暗い冬を過ごさなければならなかったアイルランドにも太陽信仰があり、世界遺産に登録されている巨石の遺構ニューグレンも、冬至の日の出の陽光が墓室といわれる遺構の最奥部にまで差し込むように作られている。

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世界遺産ニューグレン(アイルランドにて)



 私の幼稚園教員を養成するための「保育内容(環境)」の授業では、季節の行事としてクリスマスを取り上げ、その由来なども話をする。

 でも、そんな小難しいことは抜きにして、クリスマス会ではパァ~と楽しみましょう。

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紙工作のクリスマスツリーでクリスマス会
(大学の保育授業で)




 【ブログ内関連記事リンク】

 「クリスマスツリーと巨樹巨木信仰
 「巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵
 「祭で休みは、文化か、悪弊か? -祭日と休日を考える

 「第6回世界国立公園会議 inシドニー

(生物資源)
 「生物資源をめぐる国際攻防 -コロンブスからバイテクまで
 「金と同じ高価な香辛料
 「生物資源と植民地 -COP10の背景と課題(1)
 「名古屋議定書採択で閉幕 COPの成果 -COP10の背景と課題(3)


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 世界遺産や巨樹巨木なども。

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これぞ 『幸せの国』  ブータン報告その5 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 ブータンでの写真や報告したいことは、まだまだたくさんあるけれど、今回で一応終了とします。

 かつての要塞で、現在は寺院、時には役所としても使用されている「ゾン」という巨大な建造物や「ラカン」あるいは「ゴンパ」と呼ばれる寺院などの紹介は、観光ガイドブックに譲ることにしよう。

 最終回は、『幸せの国』の実感。

 いわばブータンの代名詞ともなっている「幸せの国」。経済発展(GDP:国内総生産)よりも優先されるこの標語(GNH:国民総幸福量)を国民はどのように感じているかわからないが、短期滞在者の私が感じた幸せの国の実感は、こんなところ。

 子どもたちが笑顔で幸せそうなのは、どんな貧しい国でも同様。田沼武能さんのようにうまくは子供たちの笑顔を引き出した写真は撮れないが・・・・

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チャムカル(ブムタン)の町はずれにて

 ブータンのいたるところ、たとえ車が通る路上でも、犬が幸せそうに寝ているのは、これまでの報告のとおり。

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チャムカル(ブムタン)にて

 


 “いたるところに”と言えば、「マニ車」もいたるところにある。大きさや形状も多様だ。内部にはお経が収められていて、回すと経文を唱えたのと同じ功徳があるという。ちなみに、ブータンではチベット仏教の影響で、時計回りが基本とか。
 
 敬虔な仏教徒の国ブータンでは、寺院に参拝する人も多い。
 手に持つ小さなマニ車を回しながらという人もいる。

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ジャンパ・ラカン(ブムタン)にて


 寺院内部の写真撮影はできないが、巨大な仏像の前などでは、ついついブータン式のお祈り(しゃがんで、膝とおでこを床につける)をしてしまう。これも、心休まる一時、幸せの気分か。

 寺院の外壁にはマニ車がずらりと並んでいて、拝観前にはこれを回す。

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キチュ・ラカン(パロ)にて
 
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 プナカ郊外の寺院にて
 

 巨大なマニ車の脇に座り込んで、一日中呪文を唱えながらマニ車を回す老人も、いかにも心穏やかで幸せそうだ。

 

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チミ・ラカン(プナカ)付近で

 

  寺院でなくとも、清水の湧き出るところにはマニ車が設置されていて、水車で自動的に回るようになっているものも多い。

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巨樹の根下のマニ車は、水車で回る
 タムシン・ゴンパ(ブムタン)にて

 大きなマニ車は、回転するたびに鐘が鳴る仕組みになっている。
 海辺の波の音のごとく、繰り返す音色は心を穏やかにする。

 マニ車の鐘の音だけではない。
 
 寺院の屋根軒に吊るされた無数の風鐸が、草原を渡ってくるそよ風とともに何とも言えない音を奏でる。
 それはそれは、心休まる音だった。極楽とはこんなところかと思うような気分になった。

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軒には、無数の風鐸が吊るされている
クジェ・ラカン(ブムタン)近くの寺院で


 子どもの僧侶たちは、無心にお経を暗記している。これも幸せの時間か。はたまた、試験が待ち構える魔の時間か。

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プナカ郊外の寺院にて


 一般の大人たちも、ちょうど日曜日のこの日には、伝統の弓矢大会?
 数十メートルも先の相手陣地の小さな的に向けて矢を放つ。よく的が見えると感心してしまうほど遠方だ。
 
 これを交互に繰り返して競うらしい。的に当たると、お祝いの踊りを舞う。

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トンサ・ゾン(トンサ)にて



 かつての日本でも、祭りなどに勤しむことは多かった。
 現代の日本でも、休日には野球やサッカー、楽団、その他、趣味のグループ活動をしている人も多いだろう。
 
 常々、そのような人たちを羨ましく思っていたが、ブータンの人々はそれに輪をかけたように幸せそうだった。

 休日とはいえ、パソコンに向かって原稿や資料作りをしている私とは大違いだ。

 もっとも、私も休日の仕事がそれほどつらいわけでもない。いわば趣味と化しているのかもしれない。ワーカホリック?いやそれほど悲惨なものでもない。

 日比谷公園の設計や日本最初の林学博士として有名な本多静六は、「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。」(『我が処世の秘訣』)と説いたという。(ブログ記事「巨樹の番付 -本多静六と里見信夫」参照)

 その意味では、私も『幸せの国』の住人の一人なのかもしれない。

 そして、何よりも『幸せの国』の真髄と感じたのは、チャムカルのコンビニのような小さな商店でパンを買おうとした時のこと。

 翌日に食べたいが大丈夫か尋ねたところ、「このパンは昨日入荷したものだから、明日食べるのなら4軒先の店で今朝仕入れたパンがあるから、そちらで買った方がよい」との返事。

 自分の店の営業、つまり経済性を度外視して、客の満足を優先する、この態度。
 これが、自分も他人も、皆の幸せにつながるのだろう。

 これぞ、まさに『幸せの国』を実感した瞬間だった。

 一方で・・・

 カメラを向けた私に、「ギブ・ミー・マネー」と叫んだ子供もいた。
 たくさんの子供たちにカメラを向けた中で、たった一人だけだったが、
こうした子たちがこれから確実に多くなりそうな気もする。

 『幸せの国』はいつまで続くのだろうか。
 続いてほしいと願うのは、何よりも経済価値が優先する国から来た一旅行者の無責任な願望だろうか。

 【ブログ内関連記事】

 「巨樹の番付 ―本多静六と里見信夫
 「祭りで休みは、文化か、悪弊か? ―祭日と休日を考える
 「のんびりベトナムコーヒーとオートバイ
 「ゆったり とろける時間 ―再びインドネシアから
 「のんびり時間 のんびり空間 ―瀬戸内直島 美術館
 「アルバニアのんびりカフェ
 「モンゴルの風に吹かれて


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ブータンで出会った動物たち ブータン報告4 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 またまた懲りずにブータン報告。
 今回は、ブータンで出会った動物たち。

 何といっても、筆頭はやはり犬と牛。

 前のブログ記事(ブータン報告 その2)のとおり、どこに行っても犬が道路上に寝そべっていて、それはそれは幸せそう。

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経文が書かれた旗(ルンタ)に囲まれて幸せそう?な犬



 牛も、道路わきや法面の草を食み、路上には大きな塊の糞が。

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のんびりと田舎道を歩く牛

 

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牛の親子



 牛だけではなく、馬もブータンではまだまだ現役の家畜。

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草を食む親子の馬

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道路わきを移動する馬の群れ


 標高の高いところでは、ヤクが。

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 山ではサルも。

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 鳥や蝶も無数に見ることができた。写真にとることができたのは、ほんの数枚だけ。
 鳥キチさんや蝶キチさん(失礼!)からすれば、何ともったいないことだったかもネ。

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餌をくわえて巣に戻るキツツキ

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これはカササギ?

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ブータンで出会った花 ブータン報告3 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 今回のブータン報告は、ブータンで出会った花。

 わずかな滞在期間だったが、実に多くの花に出会った。そのうちの、ほんの一部を紹介する。
 名前はわからないし、調べる暇もないので、写真だけ。
 名前をご存知の方がいらしたら、教えていただければ幸いです・・・

 ブータンの花といえば、青いケシとシャクナゲ。
 青いケシは、ブータンの国花にもなっているそうだ。

 トレッキングにはいかなかったから、残念ながら青いケシには出会えなかった。
 
 シャクナゲも、ちょっとシーズンには遅かった。
 空港から学会会場のブムタンまでの途中の山道には花の終わったシャクナゲの群落が続いていた。
 それでも、バスの中から林の奥などに白い花の名残を見ることができた。
 シーズン中に来たら、さぞかし見ごたえがあったことだろう。

 がっかりしていたら、ちょと標高の高いところ(3000mくらい)で、赤いシャクナゲが結構咲いていた。
 ラッキー!!と喜ばずにはいられない。

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 日本でもみることのできる植物も多い。
 これは、レンギョウの大株?

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  今が盛りといえば、白と赤の野ばら(ノイバラ)が、あちこちで大きな株になっていた。

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 ほかにも、ヤマボウシの仲間らしい樹木

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 そして、ジャカランタ
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 さらに足元にも、さまざまな花が・・・・・

 これはショウガの仲間?

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 サクラソウの仲間?

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 さらに、ラン、ツツジやクレソン・・・・・・

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 これらの花々から採れたハチミツも、ブータン名産の一つだ。
 赤い野ばらのラベルのハチミツ。ラベルがずれて曲がっているのもご愛嬌?

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ブータン報告 その2 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 ブータンの報告その2です。

 今回はおもに町の様子を。写真は、必ずしも撮影日時順ではない。

 前回ブログのとおり、国際線飛行場があるのはパロの町。
 早朝の写真で賑わいは感じられないが、いずれにしても小さな町だ。


パロの市街地の家並み
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パロ中心市街地もわずかこれだけ
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 首都のティンプーの町は、学会終了後に帰路のバスがティンプー泊りの人のためにホテルに立ち寄った際、ちらっと見ただけ。

ティンプーの町はずれには、集合住宅が立ち並ぶ
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市街地中心の交通整理警官のボックスのある交差点 

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街中を歩く人々にも伝統衣装を着た人が多い

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 学会が開催されたブムタン(ブータン中部)のチャムカルの商店街。チベット難民により形成された町とのこと。2kmほど離れた新市街地への移転が決まっているが、3年前の火災後も同じ場所に再建されてしまったとか。新市街地は、街路灯もある区画された道路が整備されているが、家もなく草が生い茂っていた。

商店街も朝は比較的遅い
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 商店の窓にレースのように掛けられているのは、名物の乾燥チーズ
 無理して食べて歯医者のお世話になった日本人JICA専門家も多いとか

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ブータンでは、個人住宅でも神獣などの絵が壁面に描かれている
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左の女性の後ろの巨大な男根(ポ・チェンなどと呼ぶ)も、定番のモチーフだ
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 学校から下校する児童たち
 授業は英語だそうで、流ちょうに話す
 

制服は伝統衣装 男性用は「ゴ」 女性用は「キラ」
リュックを背負い、手には弁当の手提げカゴ
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 子どもも多いが、何といっても牛と犬が多い。

道路わきにはどこにでも牛がいて、路上には巨大な糞が
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犬も道路上でのんびり昼寝
 車に轢かれやしないかとこちらが気をもむ
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中には、お寺でしっかりとお経を聴く犬も?
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トラックのヘッドランプの上には、なぜか目が!!
 仏像などをペイントしているものも多い
 ブータンのトラック野郎は信心深いか?
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 次回は、主としてブータンの田園風景と植物の予定


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幸せの国 ブータンから帰国 [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 国際民族生物学会で研究発表のため訪問していたブ-タン出張から、先週帰国しました。
 直後の土・日は、宇都宮大学での日本熱帯生態学会。
 
 この間、たくさんの方々にブログへご訪問いただき、ありがとうございます。ブログ更新もずいぶん間が開いてしまいました。

 といっても、海外出張とは関係なく、ブログ更新は相変わらず遅いですけどね。

 niceをいただいた方のブログを訪問したかったのですが、ネットはつながるものの、ページを開くのに数分、そのうちタイムアウトしたりして、訪問できませんでした。

 そもそも、ブータンにまで行って、ネットが繋がらないことにイラつくこと自体がおかしいのかも・・・ネ。

 とりあえず、唯一の国際空港のあるパロから、学会会場の中部ブータンに位置するブムタンまでの移動での風景などをご報告します。

 ドゥルックエアーの機体の背後にヒマラヤの7000m級の山がチラリ(パロ空港にて)
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 空港では、日本にも来た国王夫妻の巨大な写真が出迎え
 その後どこに行っても、どこの家庭にも、国王夫妻の写真が飾ってあった
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 最初に写真を撮ったブータンらしい住宅
 貧富の格差のせいか、住宅にも差が。これは立派な方?
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 小型バスの屋根にスーツケースを載せて、学会会場がある中部ブータンのブムタンまで
 パロのホテルから出発して、結局、ブムタンまで13時間かかった
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 途中では標高3000m級の峠を3つも越える
 峠は聖地で、経文を書いた旗(ルンタ)が縦横に(ドチュ・ラ峠3150mで) 
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ヒマラヤの山体も、この後は雨期のため遠望できなかった
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 道路工事もあり、1時間ほど待機(それでも短い方?)
 ガードレールもない山道は、ハンドル操作を間違えば谷底に
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 途中の村の市場では野菜も豊富
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 小学生の制服も伝統衣装のゴ
 子供たちはどこでも明るく、人懐こい
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 高山の村で飼育されているヤク
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 山地にひろがる典型的な村風景
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 棚田も美しい
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のんびりベトナムコーヒーとオートバイ [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 JICA(国際協力機構)の調査団員として、5月にベトナムを訪問してきた。インドネシアには年に数回も行っているが、実は他の東南アジア諸国にはマレーシアとシンガポールに行っただけで、タイもカンボディアもベトナムも、行ったことはない。初めてのベトナムだ。連日ハノイでの政府機関との会議だったが、その合間に垣間見たベトナムは・・・。

 ベトナム名産のひとつにコーヒーがある。なんでも、2012年現在で世界一のコーヒー輸出国だとか。その主体は、ロブスタ種のコーヒーだ。このロブスタ種は、ブログ記事「コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える」や「そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査」でも触れたとおり、渋みや苦みはやや強いが、病害虫に強く、収量も多いことから廉価でもある。

 ちなみに、世界のコーヒー輸出国の2位はブラジル、3位はコロンビア、4位がインドネシア、5位がインドだという(国際コーヒー協会2012年報告書)。そして、日本のコーヒー生豆輸入は、ブラジルが断トツで、次にベトナム、インドネシア、コロンビアの順だ(全日本コーヒー協会2012年輸入量データ)。私たちの飲むコーヒーにも、ベトナム産のコーヒー豆が入っているのだろうか。

 ハノイの街中には、パリの街角でよく見るようなカフェが多い。それもそのはず、かつては仏領インドシナといわれたとおり、フランスの植民地だったのだ。そのカフェでは、ロブスタ・コーヒーを深めに焙煎して、独特のフィルターで抽出して飲む。カップにはあらかじめコンデンスミルクが入っている。

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ベトナム式コーヒー

 アルミ製のフィルターはカップ1杯分だけの小さなものだが、コーヒーが完全にカップに落ちるまでには結構な時間がかかる。その間、人々はおしゃべりに花を咲かせる。まさにパリのカフェの様相だが、せっかちの日本人には待ちきれないかもしれない。

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ハノイの路上カフェで楽しむ人々

 そんな街中には、オートバイがあふれている。まだまだ車社会というよりは、オートバイ社会だ。そのライダーが、そろってマスクにサングラス、特に女性は日焼け防止の手甲(手の甲を覆う手袋型)まで付いたフードつき長袖のカラフルなウエアを着ている。マスクも日本と違って、大型でしっかりして、おまけにカラフルだ。まるで“月光仮面”を彷彿させる。

 その月光仮面の集団が、信号の変わり目に一斉に動き出す光景は、なかなか圧巻だ。そのシュールな姿を写真に撮ろうと思ってホテルと政府機関の移動の車上から何度も挑戦したが、なかなかうまくは撮れなかった。

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ハノイのオートバイ

 会議の政府機関や宿泊したホテルはハノイ市街の西側に位置し、周辺は近代的なビルも多い。しかし旧市街はもちろんのこと、宿泊ホテル周辺でも植民地時代の建物も多く、路地裏では昔ながらの生活が行われている。日曜日ともなると、池には家族連れのスワンボートがあふれる。

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ハノイの建物

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ハノイ旧市街の路地

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ボートであふれる日曜日の池

 急速な経済発展とともに、オートバイで動き回るなど、何となく慌ただしくなってきたであろうハノイの町だ。しかし、まだまだベトナムコーヒーのひと時は、のんびりタイムとして健在だ。政府のお役人さんも、昼休みは1時間半から2時間近くあり、昼食にビールを飲むことも普通だという。

 経済援助の仕事で訪れたベトナムだが、逆に疲れ切った日本に、のんびりコーヒーの精神文化を援助してもらいたいものだ。
 まずは、のんびりとベトナム式にコーヒーでも淹れてみようか・・・

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土産に買ったドリップ付粉コーヒー(右)と深煎りコーヒー豆(左)

 (ブログ内関連記事)

 「最高の人生の楽しみ? ルワック・コーヒー
 「コーヒーを飲みながら 熱帯林とコーヒーを考える
 「そのおいしいコーヒーはどこから? -スマトラ島の国立公園調査
 「アルバニアのんびりカフェ
 「のんびり時間 のんびり空間 -瀬戸内海直島 美術館
 「モンゴルの風に吹かれて
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