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城願寺のビャクシン 頼朝の旗挙げを支えた土肥氏の菩提寺 [巨樹・巨木]

湯河原温泉(神奈川県湯河原町)での会合のついでに、天然記念物の巨樹ビャクシンがある城願寺を訪ねた。

城願寺は、JR東海道線湯河原駅裏手にある寺院だ。もともとは、城山山麓に平安時代からあった密教寺院だったが、800年ほど前の土肥郷(現在の湯河原)の豪族、土肥次郎実平の時代に、万世までもの一族の繁栄を願う「萬年山(万年山)」と号した菩提寺として現在地に建立されたという。

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駅からの道路をそれて参道を進むと、仁王が対峙する山門がある。

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門の裏には、六地蔵(?)が。

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山門からの石段を上ると、右手に目当ての国指定天然記念物「城願寺のビャクシン」が聳え立っている。

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この寺を建立した土肥実平のお手植えと伝えられ、樹齢は約800年、幹周6m、樹高20mの巨木だ。
国の天然記念物に指定されており、かながわの名木100選にも選定されている。

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ビャクシン(イブキ)の幹はよじれ、いかにも800年を生き抜いてきた巨樹という風情がある。

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境内には本堂のほか、釣鐘堂、七騎堂などがある。

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さらに土肥一族墓所には、実平など66基もの墓石があり、その形態も多様だ。

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この寺を建立した土肥実平は、もともとは平氏一族の中村氏の出身で、中村宗平の次男として相模国土肥郷を治めていた。

しかし、伊豆に流されていた源頼朝が平家打倒の旗挙げをすると、これに嫡男の遠平とともに参加した。

以後、多くの合戦に出陣して頼朝の平家討伐などにも功績があったという。

毎年4月には、頼朝の平家討伐旗挙げを記念した武者行列が開催されるそうだ。

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土肥氏の館跡とされるJR湯河原駅前には、実平と妻の像がある。
今回は残念ながら、城山山上の土肥城址までは足を延ばすことはできなかったけれど。

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歴史のロマンを感じる土肥郷の道路脇には、小さな石像がたたずんでいた。

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行った と・こ・ろ
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太古の珍獣と悠久の巨樹 -秩父の神社と巨樹(5) [巨樹・巨木]

秩父市での「巨木フォーラム」エクスカーションの続き。

大徳院の門前には「大徳院の一本スギ」がある。
推定樹齢300年というスギだが、寺に伝わる延享3年(1745年)の古地図にその存在が記されているという。

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大徳院からしばらく歩くと、「奈倉妙見宮」がある。

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ここでは、小鹿野町の秋祭りに女歌舞伎が上演される。
今年も訪れた前夜の10月1日に上演されたことが、テレビニュースで報じられていた。

そのすぐ近くには、化石で有名な「ようばけ」がある。

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荒川支流の赤平川右岸の第三紀層地層の大露頭で、約1500万年前の堆積物からはクジラやサメ、貝類などの化石が発見されている。
2016年3月には、これらの堆積層と化石群が国指定の天然記念物に指定された。

そして「ジオパーク」にも認定されている。
ジオパークは、一定の価値ある地形や地質などを教育や観光などに活用しながら保全もしていこうとする活動だ。

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日本には40以上のジオパークに認定された地域があるが、そのうち8地域は世界的なジオパークネットワークの「ユネスコ世界ジオパーク」にも認定されている。

「おがの化石館」には、ようばけや近くの同じ地層から発見された化石などが展示されている。

その中でも奇獣といわれるパレオパラドキシアは、約2000万年前から1100万年前に日本と北アメリカ西海岸の海辺で生息していた体長2mほどの哺乳類だそうだ。

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骨格模型や復元模型も展示されているが、現在では類似の骨格をもつ生物が生存していないため、その形態はもちろん、生態も謎が多いという。

現在のところ、現代のカバに似た形態と生態であったと想像されている。
浅い海中にも潜って海藻など食べる“草食系”と推定されているせいか、復元模型もそれとなく優しげだ。

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全身骨格の化石は今から40年前の1975年に秩父市大野原で発掘されたが、世界で2例目という貴重なものだ(展示は、レプリカ)。

歯などの部分化石は、海外や日本の他地域でも発見されているが、埼玉県は世界で最もパレオパラドキシアの化石が発見されている地域だそうだ。

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エクスカーション最後の巨樹は、「明ケ指(みょうがさす)のカツラ」だ。

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どちらかというと水分の多いところを好むカツラだが、明ケ指のカツラの生育地は、まさに荒川支流の安谷川の渓流沿いだ。

根元からのたくさんの分枝とコブの独特の雰囲気は、深山渓谷に鎮座する巨樹にふさわしく、フォーラムのポスターやパンフレット表紙をも飾っている。

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悠久の時を生きてきた巨樹でも、さすがにパレオパラドキシアの化石の時代から生き続けているのはない。
しかし、その遺伝子は延々と継承され、イチョウやメタセコイアのように生きている化石と称される種もある。

少なくとも人間の一生をはるかに超えた歴史を見続けてきたことは間違いない。それが巨樹というものだ。



いつも本ブログにご訪問いただき、ありがとうございます。

2016年10月に埼玉県秩父市で開催された第29回「巨木を語ろう全国フォーラム」(10/1フォーラム、10/2エクスカーション)に長らくお付き合いいただきましたが、とりあえず報告は終了します。

次回からは別のテーマとなりますが、引き続きよろしくお願いします。


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困民党とロケット祭の椋神社、そして吉田小学校庭の大木 ― 秩父の神社と巨樹(4) [巨樹・巨木]

しばらく間が空いたが、埼玉県秩父市での「巨木フォーラム」のエクスカーションで巡った巨樹の紹介。

「椋神社」は、明治17年(1884年)に起きた「秩父事件」の際に、3千名ともいわれる農民らが集結した場所として著名だ。

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当時は、デフレ政策と軍備拡張のための増税などで、全国の農民などは生活に困窮し、各地で政府に対する抵抗運動が起きていた。秩父地方でも、デフレなどの全国的な経済不況に加え、欧州での不況による生糸価格の大暴落もあって、秩父銘仙に象徴される生糸の産地でもあった秩父の農民の生活は困窮を極めていた。

秩父事件は、このような中で自由党員を中心に農民らが「困民党」を組織したものだ。

11月1日に椋神社に集結した数千名もの農民らは、猟銃や刀剣などで武装し、翌日には秩父郡の中心大宮郷(現、秩父市)にまで進軍して郡役所や警察なども占拠した。県庁、さらには東京の政府まで攻め入る計画だったというが、出動した軍隊により鎮圧されてしまった。

この「秩父事件」あるいは「困民党」については、圧政を打ち破るための民衆による画期的な蜂起か、あるいは高利貸などを襲った借金苦、生活困窮者の暴徒による単なる略奪、放火事件だったのか、その評価はさまざまなようだ。

時間(歴史)が評価するとは言うけれど、その歴史も時代とともに移ろうのだから厄介だ。

そんな大事件があったのも嘘のように、ひっそりと静まり返った椋神社の本殿脇の広場には、樹齢100年ともいわれる2本のクヌギが寄り添っている。
「椋神社の夫婦クヌギ」と呼ばれている。

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訪れた際には夫婦クヌギの下で、地元の方々が1週間後(10月9日)に控えた椋神社例大祭「龍勢祭」の準備に精を出していた。
夫婦クヌギの右側にある櫓では、龍勢打ち上げの際に太鼓を打ち鳴らすとか。

龍勢祭は、花火を推力にしたロケットのようなものをおよそ15分間隔で30本ほども打ち上げるものだ。

打ち上げ台は、神社から見える丘の中腹の高さ約20mの櫓。

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点火すると轟音とともに数100mの上空に昇り、その姿は龍のごとくということで、この名がついたようだ。
テレビニュースで見たが、まさにロケット祭で壮観だ。実物を見ることができず、残念だった。


次は、市立吉田小学校の校庭に生育している樹齢800年ともいわれる「吉田小学校の大ケヤキ」だ。市指定の天然記念物にもなっている。

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ここは秩父氏館跡ともいわれ、現在では椋神社に移転されている「八幡宮」も建立していた。

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大ケヤキはその敷地外周の斜面に生育していたといわれるが、明治時代末の校庭の拡張などで根元が埋め立てられて、樹勢がだいぶ弱ってきていた。

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全国巨樹・巨木林の会では、今回の巨木フォーラム開催を記念して、「巨樹健康診断」を実施した。

根元を掘削しての診断などのほか、ツリークライミングによる高所診断、最近話題のドローンによる空中調査も実施された。その結果は、フォーラムで報告されたほか、報告書も作成された。

校庭には、久しぶりに見る二宮金次郎の像があった。

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しかし最近では、「ながらスマホ」を助長しているとの親からのクレームで、各地で撤去が相次いでいるともいう。

私は別に金次郎像にそれほど愛着があるわけでもないが、ながらスマホを助長するから撤去しろとの親のクレームとそれを受け入れて撤去する学校(教育委員会)の対応には、正直がっかりだ。

金次郎像による道徳の押し付けもまた、困ったものだけどね・・・。

明治の大事件とその後の農民たちの暮らしぶり、そして小学児童たちの健やかな成長を見続けてきた巨樹たちと金次郎像に出会った秩父路だった。


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巨木フォーラム in 秩父 ― 秩父夜祭 屋台芝居と囃子でおもてなし

巨木フォーラム in小豆島 (1)

巨木フォーラム in小豆島(2) ― 小豆島の巨樹めぐり

どこんじょう 震災にめげずに巨木フォーラム開催







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巨木フォーラム in 秩父 ― 秩父夜祭 屋台芝居と囃子でおもてなし [巨樹・巨木]

「第29回巨木を語ろう全国フォーラムin埼玉・秩父大会」が、2016年10月1日(土)、2日(日)に開催された。

フォーラムが開催された埼玉県秩父市は、市域の多くが山地で、武甲山などの石灰産地として発展し、秩父銘仙の織物産地でもある。

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武甲山の山並み


そして、秩父多摩甲斐国立公園にも指定され、また古くからの林業地でもある。
その中には、明治神宮や日比谷公園の設計に携わり、日本の公園の父として有名な埼玉県が生んだ偉人の一人、本多静六博士が寄贈した山林もある。

本多静六博士はまた、『大日本老樹名誌』を著し、『大日本老樹番付』も作成したから、まさに「日本の巨樹の父」ではないかと思うけど。

1日目はシンポジウム、2日目はエクスカーションでの巨樹探訪だ。
また、シンポジウムに先立つ午前中には、私が会長を務める「全国巨樹・巨木林の会」の総会も同会場で開催された。

フォーラムは秩父市を中心とする運営委員会が主催で、全国巨樹・巨木林の会は共催者となっている。

市内中心部の秩父市歴史文化伝承館でのフォーラムでは、開始前に子ども歌舞伎の上演による歓迎があった。

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 フォーラム会場の歴史文化伝承館には、フォーラムの幟も


演じたのは宮地屋台芝居子ども歌舞伎に所属する地元町会に在住の小学生で、題目は有名な「白浪五人男」(通称)だ。宮地屋台芝居子ども歌舞伎の名のとおり、上、中、下の宮地町3町会は今年は4年に一度の当番町に当たり、12月2日・3日の有名な「秩父夜祭」で屋台のうえで上演するという。
これから本番に向けて、さらに練習が積まれることだろう。

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フォーラムでは、東京農業大学の宮林教授による基調講演「巨木の文化価値と地域づくり」に続き、市内の「吉田小学校の大ケヤキ」(市指定天然記念物)の健康診断結果報告が行われた。

巨樹の健康診断は、全国巨樹・巨木林の会が全国フォーラム開催に合わせて実施している事業で、昨年の小豆島の「宝生院のシンパク」(国指定特別天然記念物)に次いで2回目となる。調査は、目視等による衰退度調査などのほか、ツリークライミングによる高所診断や最新のドローンによる空中調査も行われた。

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巨樹健康診断の対象となった吉田小学校の大ケヤキ



さらに、地元秩父の巨木保全などの活動事例が発表されたあと、秩父市立荒川東小学校緑の少年団による大会宣言の発表があった。

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最後に、秩父市長から来年の第30回フォーラムが開催される石川県巨樹の会会長に大会旗が引継がれた。

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夜は交流会が催され、県立秩父農工科学高校の秩父屋台囃子保存部による迫力あるアトラクションが披露された。

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そして、1年ぶりに会った懐かしい顔、今年初めて会った新たな巨樹仲間などの懇親が深まり、地元食材の料理のおもてなしもあり、参加者は大いに盛り上がった。

2日目には、①秩父まちなかコース、②横瀬・長瀞・皆野コース、③荒川・吉田・小鹿野コース、④三峰コースの4コースに分かれて、巨樹のほか、秩父の文化や自然を探訪した。

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椋神社の夫婦クヌギ

 

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明ケ指のカツラ



巨樹がつなぐ輪がまた増えたと感じたこの2日間だ。

来年は、9月30日(土)と10月1日(日)に石川県金沢市で開催されることになっている。

どんな巨樹と人々と、そして地域の文化・伝統と出会えるか楽しみだ。

しばらくの間、秩父の神社と巨樹の探訪記事をアップの予定。

全国巨樹巨木林の会 http://www.kyojyu.com/

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巨樹の番付 -本多静六と里見信生





 

 

 

 


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源氏との因縁 鶴嶺八幡宮と大イチョウ [巨樹・巨木]

「鶴嶺八幡宮」(神奈川県茅ケ崎市)は、茅ヶ崎の総鎮守とはいえ、近隣の相模国一宮の「寒川神社」ほどには知られていない。
ましてや、超有名な鎌倉の「鶴岡八幡宮」にはとても足元にも及ばない。

しかし実は、あの鶴岡八幡宮の前身ともいえるのが、この鶴嶺八幡宮らしい。

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全国にある約8万社といわれる神社は、八幡神社(八幡宮)、稲荷神社、熊野神社など、それぞれのルーツがあり、それが各地に勧請されて広がっていった。

鶴嶺八幡宮は、源頼義が長元三年(1030)に京都の石清水八幡宮(一説には、大分県の宇佐神宮)を勧請して懐島郷矢畑に創建した「懐島八幡宮」がその元といわれている(否定的な説もあるようだけれど)。

つまり、源氏が関東に進出する際に、最初に創建した氏社が鶴嶺八幡宮だという。
以来、源氏の篤い信仰を受けてきた。

その後、頼義は前九年の役での戦勝を祈願し勝利すると、鎌倉の由比郷に懐島八幡宮を勧請して「由比若宮」を創建し、これが現在の「鶴岡八幡宮」の元となったという説もある。

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鎌倉の鶴岡八幡宮(奥)と太鼓橋(手前)(2010年3月撮影)


一方、頼義の子の八幡太郎義家が、後三年の役の戦勝祈願と勝利により、懐島八幡宮を現在地の浜之郷に遷したのが鶴嶺八幡宮という。

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安藤広重の東海道五十三次絵図の「南湖の左富士」で有名な鳥井戸橋。そこの国道1号線(東海道)には、鶴嶺神社の「大鳥居」がある。

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その大鳥居から社殿前までは、「八丁参道」「八丁松並木」と呼ばれる松の並木が続き、茅ヶ崎市指定天然記念物となっている。八丁というから、約800mもの距離になる。

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この参道は、江戸時代に三代将軍徳川家光から七石の御朱印を拝領した記念に、八幡宮別当住職の朝恵上人が社殿の再建とともに並木を整備したものという。

「二の鳥居」の手前には、太鼓橋があり、松並木はまだまだ続く。

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社殿の手前には、源義家が鶴嶺八幡宮を現在地に遷座したときに植えたと伝えられる「大イチョウ」がある。樹齢は950年だという。

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同じ鎌倉期の鶴岡八幡宮の大イチョウ(隠れ銀杏)が倒壊してしまった現在、隠れ銀杏を凌ぐ大きさの鶴嶺八幡宮の大イチョウは、神奈川県の宝ともいえる。

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隠れ銀杏の撤去作業(2010年3月撮影)


環境省の巨樹データベースによれば、幹周919㎝、樹高29mで、神奈川県天然記念物に指定されている。神奈川県内でイチョウとしては第1位、全種でも5番目の幹周を誇る巨樹だ。かながわ名木百選にも選定されている。

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境内には、源頼義が前九年の役の戦勝祈願で手植えしたという樹齢900年のマキの枯損木が御神木として保存されている。

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境内社には、淡島神社、鉾宮神社、稲荷神社がある。

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また、鶴嶺八幡宮に合祀される前の「佐塚大明神」では、暁の祭典とも呼ばれて神奈川県無形民俗文化財にもなっている「浜降祭」のルーツである南湖浜での禊が行われていたともいう。

だから、現在の浜降祭でも、鶴嶺八幡宮の神輿は、寒川神社の神輿とともに、別格扱いとなっている。

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鶴嶺神社の名前はもちろん以前から知っていたし、国道沿いの大鳥居も八丁松並木も昔から何度も通過しているけれど、神社に参拝したのは今回が初めて。

近くにこんなに源氏と因縁のある神社があるとは知らなかった!

遠くへの旅もいいけれど、もっと足元を見直さないとと反省しきり<(_ _)>


【本ブログ内関連記事リンク】

暁の祭典 浜降祭

新緑の鞍馬寺・貴船神社 義経伝説とパワースポットを追って(1)~(3)」

そこにある巨樹 ― 春日部駅近くの巨樹めぐり

雙林寺の七不思議と巨樹





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雙林寺の七不思議と巨樹 [巨樹・巨木]

法事で、最大山「雙林寺」(群馬県渋川市)にお参りした。

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雙林寺は、1447年に白井城主の長尾景仲によって建てられたというから、570年近くの歴史がある曹洞宗の名刹だ。

江戸時代には徳川将軍家とも縁が深く、将軍が交代する際には雙林寺住職による「城固めの法問」が行われたそうだ。
慶長年間には曹洞宗の僧録職に任ぜられ上野国・信濃国・越後国・佐渡国の総取締として大勢力を誇ったという。

そういえば、総門の屋根やお焼香の香炉にも、徳川家の葵の御紋が付いていた気がする。

総門は閉じているので、右手の門から鐘楼の脇を通り本堂に向かう。

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本堂内部の欄間も、立派な透かし彫りが施されている。

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板襖の襖絵は、残念ながら退色、剥離してしまっている。

開山は大雄山最乗寺第七世の月江正文禅師で、この御縁から現住職の御尊父も現在は最乗寺にお勤めだそうだ。

なお、「最乗寺」は、神奈川県南足柄市にある600年以上の歴史を持つ曹洞宗の古刹で、妙覚道了が祀られていることから「道了尊」とも呼ばれている。

また、世界一といわれる天狗の大下駄もあり、箱根の明神ヶ岳へのハイキングコースの起点として、私も訪れたことがある。

雙林寺にも道了尊の御堂がある。
急な階段を上った先では、天狗と烏天狗の像がお出迎え。

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雙林寺には、「七不思議」が伝えられている。

その一つ、「開山の一つ拍子木」は、寺中で悪いことが起こりそうになると、深夜に一つ拍子木が自然に鳴るという。

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奥の柱上においてあるのが「一つ拍子木」

「山門小僧と総門のツル」は、小僧とツルの争いの結果、小僧には腕がなくなり、ツルの足には穴があいていたという。

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山門(写真上)と仁王像(写真下)

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山門の小僧の彫刻(腕が無い?)

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開かずの総門の内側
上中央の白いのが足に穴の開いているツル


境内の巨樹も、七不思議に数えられている。

「開山のつなぎカヤ」(雙林寺の大カヤ)は、開山の際にカヤの実で作った数珠を蒔いたところ大木になり、その実には針穴があるという。
樹齢約500年、幹周5.2mで、群馬県の天然記念物に指定されている。

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実に穴が開いているかどうか、残念ながら確認するのを忘れていた。

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もう一つの七不思議巨樹は、「雙林寺の千本カシ」だ。
アラカシだが、一株から数十本の支幹が叢生し、これを伐採すると災難が起こるとされる。これも県指定天然記念物だ。

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七不思議ではないが、山門脇の「雙林寺のヒイラギモクセイ」も堂々とした樹勢だ。
こちらは、子持村(現、渋川市)指定の天然記念物だ。

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さすが、かつては上野国と上信越の諸国を勢力範囲とした大寺院だけあって、一カ寺でこれだけ見ごたえがあるのは素晴らしい。

しかし残念ながら、近年では訪れる人も少ない。

観光地化して名刹の雰囲気がなくなるのは困るが、もっと多くの人に知ってもらいたいお寺の一つだ。




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そこにある巨樹 ― 春日部駅近くの巨樹めぐり [巨樹・巨木]

長年勤務していても、家と勤務先の往復だけで、意外と周辺のことは知らないものだ。

ということで5月のことだが、勤務先に近い東武スカイツリーライン線春日部駅(埼玉県)東側の粕壁地区の巨樹めぐりをしてみた。

なお、この粕壁地区は、日光街道の宿場町で、「奥の細道」の芭蕉もこの地に宿泊したといわれている。

まずは、「碇(いかり)神社のイヌグス」。

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春日部市市民文化会館近くにある無人の小さな祠の傍、推定樹齢600年、幹周約4.4mの巨樹だ。
南方に多いクスノキ科のイヌグス(タブノキ)としては北で生育しているということで、埼玉県の天然記念物にも指定されている。

樹勢は旺盛だが、治療によるコンクリート注入と支柱が痛々しい感じだ。

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現在の碇神社の周囲は私有地に囲まれていて、もともとの参道からは入れないので、唯一開放されている市道から祠の裏側に入り込む。

市道の反対側は大落古利根川で、江戸時代には水運の重要路だったようだ。近くには下喜蔵河岸(しもきぞうがし)という船着場もあり、碇神社の名もそこが由来ともいう。

イヌグスは、この船着場への目印にもなっていたという。


大落古利根川を渡った八坂香取稲荷神社に隣接する「仲蔵院」には、樹齢250年という「牡丹つつじ」があるという。

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250年もの古木、果たしてどんな巨樹か?
境内を勝手に探したが見当たらなくて、ついにお寺さんにお尋ねした。

なんと!! 樹勢が衰えてきて数日前に伐採したところだというではないか。
まだ白い切り口が、これまた痛々しい。残念。

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それでも取り木用に残した枝に、一輪の花が残っていた。

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どうやら八重咲のツツジのようだ。

最後の一輪。
まさにラッキーというほかない。


春日部駅近くの「最勝院」。
広い境内を有し、徳川三代将軍家光を日光に葬送する際には旅宿にもなったという。

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門の奥の本堂脇にある墳墓の上には、大きなシイがある。

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この墳墓は、南北朝時代に新田義貞の家臣として後醍醐天皇に仕えた春日部重行の墓という。

重行は、元弘の乱などの功により下河辺荘の武蔵国春日部郷(現在の春日部市内牧地区の一部)と上総国山辺郷の地頭職となり、春日部の祖ともいわれる。

墳墓の頂のシイの木は、巨大な墓碑として重行の功績を今に伝えんとしているかのようだ。

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このシイの巨樹には、名前は付されていないのだろうか。
調べてみてもそれらしいものは見当たらない。

それならば、ということで勝手に命名してしまおうか。
「最勝院の墳墓のシイの木」はどうだろう? 「の」が多すぎるかな?


このほかにも、春日部市内に限らず、皆さんの身近なところにもまだまだ巨樹は多い。

しかし、いつの間にか邪魔になり伐採されるものも多い。

せめて名前でも付されていると、親しみも沸き、多くの人々が関心を持つことで、伐採を免れる場合もある。


巨樹に関心と愛着を持つ人々の年に一度の集い、「巨木を語ろう 全国フォーラム」も今年で29回目。
10月1日(土)と2日(日)に埼玉県秩父市で開催される。

私も共催者の全国巨樹・巨木林の会会長として参加するが、秩父路ではどんな巨樹がお出迎えしてくれるだろう。

全国巨樹・巨木林の会 全国フォーラム案内
http://www.kyojyu.com/forum/

多くの方に巨樹への関心と愛着を持っていただきたいと切に願います。


【本ブログ内関連記事リンク】

新緑の鞍馬寺・貴船神社 義経伝説とパワースポットを追って(3) 愛のパワースポット 貴船神社

巨木フォーラム in小豆島(2) ― 小豆島の巨樹めぐり

巨木フォーラム 群馬・高崎・倉渕

パワースポット 来宮神社の大クス

ほか、マイカテゴリー「巨樹・巨木」内記事をご覧ください。



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巨木フォーラム in小豆島(2) ― 小豆島の巨樹めぐり [巨樹・巨木]

小豆島で開催された「第28回巨木を語ろう全国フォーラム」。
前回ブログのフォーラム報告の続き。

フォーラム翌日の11月1日は、会員の楽しみでもある巨樹ツアーだ。

二つのコースに分かれたが、今回の小豆島巨樹の目玉の国指定特別天然記念物「宝生院のシンパク」と国指定天然記念物「誓願寺のソテツ」は、どちらのコースでも訪れることになっている。

私の参加したコースでは、まず「誓願寺のソテツ」を訪れた。
山門を入ると正面に巨大なソテツが現れる。


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南国のソテツはもちろん自生ではなく、元禄時代に廻船業を営んでいた豪商が南九州から持ち帰って寄進したという。
巨大なソテツは、樹高もさることながら、枝分かれして横に張り出して数本の株のようだ。しかし、根元を見ると1株なのがわかる。

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雌の株だけあって、大きな実も付いていた。

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荒魂神社では、香川の保存木に指定されている「ウバメガシ」と「ムクノキ」を見た。
このほかにも、神社社叢にはカゴノキ、ヤブニッケイなどの大木もある。

備長炭で有名なウバメガシは、香川では「バベ」と呼ばれている。
境内に数本あるウバメガシの大木うち、保存木は社殿の北側にあり、やや傾いている。

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ムクノキは、社殿の裏にあり、枝折れも認められ、老木の特徴である樹皮の剥がれも顕著だ。

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そして、「宝生院のシンパク」へ。

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応神天皇が小豆島遊行の際、皇踏山に登り植樹したといい、本多静六博士の調査でも樹齢1500年以上と推定されているという。

シンパクでは日本最大で、国の“特別”天然記念物の指定は、シンパクとしてはこの巨樹だけだ。
一木だが、まるで森を形成しているようだ。

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根元付近の幹や枝のコブなどは、象や龍、亀などの縁起物にも見えるとして、近年ではパワースポットとしても注目を集めている。

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↑中央にゾウの姿が。わかりますかね。

最後の巨樹は、プラントハンターとして有名な西畠清順氏により、遠くスペイン南部のアンダルシアから運ばれてきたという樹齢1000年のオリーブ。

異国とはいえ日本のオリーブ故郷、小豆島にその雄姿はすっかり根付いたようだ。

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巨木ツアーの途中では、瀬戸内海国立公園の景勝地で紅葉の名勝として有名な「寒霞渓」(紅葉には早かったけれど)で弁当昼食。

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そして海賊から町を守るための入り組んだ道の町並みが残る「迷路のまち」。

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自由律俳句で有名な「尾崎放哉の記念館」がある。

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朱塗りの山門や三重塔が美しい「西光寺」

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ここには、樹齢250年以上といわれる町天然記念物に指定されているイチョウの巨樹も。

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来年の秩父路では、どんな巨樹、そして人々に会えるのか、今から楽しみだ。



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巨木フォーラム in小豆島 (1) [巨樹・巨木]

第28回「巨木を語ろう全国フォーラム」(巨木フォーラム)が、2015年10月31日~11月1日に香川県の小豆島で開催された。

小豆島には、香川県庁での4年間の勤務(出向)の間には何度も通ったが、それ以来約30年ぶりだ。

高松からのフェリーで着いた土庄港の公園では、壺井栄の原作で映画化もされた『二十四の瞳』のモニュメント「平和の群像」が出迎える。

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フォーラムは、小豆島の象徴オリーブが導入された「小豆島オリーブ公園」内のサン・オリーブで開催された。

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写真右の白い建物が、フォーラム会場のサン・オリーブ

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オリーブ公園内には、1908年に小豆島に初めて導入された日本最古のミッションという品種のオリーブ原木がある。
実際には、1908年導入の原木から1917年に挿し木した二世というが、それでも現存する産業用オリーブとしては日本最古だそうだ。

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オリーブ原木


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オリーブの実


フォーラムに先立って午前中に開催された「全国巨樹・巨木林の会」総会では、予算・決算などの議案決議や参加団体の活動報告などのほか、今年度から開始された「巨樹の健康診断事業」が報告された。

フォーラム開催地の巨樹の健康状態を診断して、今後の保全活動に役立ててもらおうとの趣旨で、記念すべき第1号は、小豆島の巨樹のシンボル「宝生院のシンパク」だ。

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幹や枝ぶり、根の状態などを外観から診断したほか、ツリークライミングによる高所診断、さらに今話題のドローンを使用した空中からの多角的な診断も実施した。

これらの調査は香川県、土庄町の協力の下、本会所属の樹木医有志のほか、地元香川県の日本樹木医会会員、NPO法人香川のみどりを育む会会員などの協働で実施された。


午後からのフォーラムには、全国各地、そして地元小豆島や高松などから、例年以上の500名を超える参加があった。
私は、共催団体の全国巨樹・巨木林の会会長として開会挨拶をした。

基調講演や事例発表などの後、地元の美島緑の少年団団員から大会宣言が読み上げられた。

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そして、次回開催地の埼玉県秩父市森づくり課長にフォーラム実行委員長(土庄町長)から大会旗が引き継がれた。

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こうして無事にフォーラムは終了した。
ホッとして、瀬戸内海に沈む夕日にしばし見とれた。
何時見ても、瀬戸内の夕日は絶品だ。

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夜は交流会が開催された。地元からは、勇壮な和太鼓のアトラクションも披露された。

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昨年の群馬県高崎市倉渕でのフォーラム以来1年ぶりで再会した会員たちは、それぞれの活動報告などの話題で盛り上がった。

翌日は、会員楽しみの巨樹をめぐるエクスカーション。

この報告は、次回のブログ記事で。

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巨木フォーラム 群馬・高崎・倉渕

巨木フォーラムin伊豆  そして、全国巨樹・巨木林の会設立20周年式典」 ほか

 


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巨木フォーラムin伊豆  そして、全国巨樹・巨木林の会設立20周年式典 [巨樹・巨木]

本年(2015年)10月31日に第28回「巨木を語ろう全国フォーラム」(巨木フォーラム)が、香川県の小豆島で開催された。

その報告の前に、「第26回巨木フォーラム静岡in伊豆」を報告しなければならない。

河津七滝 天城の滝巡り - 天城越えの旅(1)」でのお約束だから。(前回の第27回巨木フォーラムは、アップ済み「巨木フォーラム 群馬・高崎・倉渕」)

巨木フォーラムin伊豆は、2013年11月16日に、静岡県伊豆市の天城会館で開催された。


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この年は、全国巨樹・巨木林の会が設立されて20周年を迎えたこともあり、フォーラムに先立つ午前中の総会では、「設立20周年記念式典」が開催された。

会への功労者の表彰などの後、「設立20周年記念宣言」を採択して終了した。

午後のフォーラムでは、基調講演、活動報告、大会宣言採択などがあった。


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伊豆市の小中高校生による報告

最後に、本フォーラム開催地の菊池伊豆市長から次回開催地の群馬県高崎市倉渕巨樹の会市川会長へ、大会旗が引継がれた。

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翌日は、全国からの参加者も楽しみにしているエクスカーションが実施された。
巨樹の多い伊豆半島を4つのコースで巡るものだ。

私が参加したコースでの最初の巨樹との出会いは、「お宮の椎の木」だ。
市指定天然記念物で樹齢800年ともいわれるシイノキは、天城湯ヶ島町天城神社の拝殿参道脇に下膨れのいかにも巨樹といった姿で鎮座していた。

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天城神社のシイノキ(通称 お宮の椎の木)


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天城神社拝殿

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独特の雰囲気の「はじめ狛犬」


天城山地一帯は、かつては徳川幕府直轄地の天領、その後は皇室の御料林として、森林は保護され、特に有用材でもある杉、松、ヒノキ、ケヤキ、クス、サワラ、カシは、「天城七木制」(のちにモミ、ツガをくわえて天城九木)により禁伐となり、厳重に保護されてきた。

地元住民は、天領(御料)でのスギを伐採した跡地には、伐採させてもらったお礼にスギの苗を植えて、「お礼杉」として保護したという。

さらに、山仕事で入山する人々は、安全などを「山の神」に祈願した。今もその祠が残る。


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道の駅「天城越え」にある「昭和の森会館」には、これらに関連した展示解説などもある。

昭和の森会館を出発点としてしばらく滑沢渓谷沿いの林道を散策すると、こうして保護されてきた代表的なスギで山中にひときわ高くそそり立つ、樹齢500年ともいわれる「太郎杉」(県指定天然記念物)に到達する。


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滑沢川の一枚岩・竜姿の滝(ジオサイト)

かつては同様のスギも多かったが、戦時中の供出による伐採で、かつての天領の面影を残す貴重な巨樹となった。

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道の駅「天城越え」の近くには、「茅野のエドヒガンザクラ(江戸彼岸桜)」もある。
伊豆地方最大級のエドヒガンザクラだが、花のシーズンではないのが残念だ。


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浄蓮の滝(ジオサイト)(写真上)と旭滝(ジオサイト)(写真下)にも立ち寄り。

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エクスカーション最後の巨樹は、市指定天然記念物「学舎(まなびや)の大ケヤキ」。

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明治33年(1900年)に下大見尋常高等小学校(のちの白岩小学校、昭和47年に統合移転)が建設された頃は、敷地の隅の土手にあったケヤキだが、学校敷地の拡張に伴い校庭内に組み込まれるようになったという。

邪魔になったケヤキは、何度も伐採されそうになったが、ケヤキに登り、ケヤキの下で写生などをして育った多くの卒業生や地域の人々によって守られてきたそうだ。

現在でも、樹齢150年といわれる大ケヤキは、橘保育園の園庭で多くの子どもたちを見守り続けている。

第24回巨木フォーラムの際に訪れた瑞竜小学校(茨城県常陸太田市)の校庭中央を占拠するサクラ「瑞桜」の物語と重なる(「どこんじょう 震災にめげずに巨木フォーラム開催」参照)。

巨樹のあるところには、人と巨樹のそれぞれのドラマがある。
そして、どんな巨樹にも、稚樹と言われた時代があったのだ。

どんな偉人も同じだけれどもね。


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河津七滝 天城の滝巡り - 天城越えの旅(1)

開祖弘法大師と源氏の盛衰 修善寺温泉から三嶋大社 - 天城越えの旅(2)

パワースポット 来宮神社の大クス

巨木フォーラム:

四半世紀を迎えた巨木フォーラム

第27回「巨木フォーラム 群馬・高崎・倉渕

第25回「縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡

第24回「どこんじょう 震災にめげずに巨木フォーラム開催

第23回「巨木フォーラム in つるぎ町 -巨樹王国を支える人々の熱き想い

第22回「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任




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本多静六と私 -日本の公園の父 そして巨樹番付 [巨樹・巨木]

勤務先からほど近い埼玉県久喜市に所在する「本多静六記念館」を訪問した。

生誕地の河原井村(現、久喜市菖蒲町)にある久喜市役所菖蒲支所の5階に記念館はある。

また近くの生誕地は、記念公園になっている。
記念公園内の本多静六の胸像。(右後方が、後述の首掛けイチョウの分木)

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記念館入口では、本多静六の大きな写真が出迎える。

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館内には、本多静六の生い立ち、業績などが展示されている。

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本多静六は、日本最初の林学博士として、日比谷公園や明治神宮の森を初めとする全国各地の公園の設計に携わった。

日本最初の西洋式公園でもある日比谷公園も、現在ではビル街の貴重なオアシス。公園内の写真上方が西洋式の芝生広場など、下方の森が日本式庭園の心字池など(霞が関の中央合同庁舎5号館より望む)


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西洋式公園にも日本庭園がある(大雪の日本庭園の心字池、2013年1月14日)。

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日比谷公園内のレストラン松本楼の脇には、有名な「首掛けイチョウ」がある。

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日比谷見附の道路拡張の際に伐採されそうになった大イチョウは移植不可能とされていたが、本多静六は「首にかけても移植させる」と言って実行したそうだ。それ故にこの名があることが、表示板に記されている。

このイチョウは、本多静六記念公園(↑に記載)にも分木されている。


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首掛けイチョウの樹下では、その出来事を知ってか知らずか、人々がおいしそうに食事や談笑をしている。

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明治神宮の造営では、神社にふさわしい杉林造営を主張する総理大臣大隈重信に対して、百年先を見越した天然更新の常緑広葉樹林を主張して、結局は大隈を説き伏せたということが、5月2日放映のNHKスペシャル「明治神宮 不思議の森~百年の大実験~」で紹介されていた。

参拝者で賑わう明治神宮の本殿(2010年1月)

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明治神宮参道(代々木門)と常緑広葉樹の森


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公園の設計だけではなく、由布院温泉(大分県)などの地域振興策、野辺地(青森県)鉄道防雪林(日本最古)などの造林、さらには日本の国立公園制度の創設にも携わった。

これらの業績により、「日本の公園の父」とも呼ばれている。


私にとっては、単に勤務先の共栄大学所在地が生誕地に近いだけではなく、東京大学林学科での恩師達の大先輩(ということは、私も不肖の孫孫・・弟子?)であり、さらに国立公園行政に携わった私にとってその源の制度創設者でもあるなど、個人的にも深い関わりがある。もっとこじつければ、東京生まれの私の先祖も、やはり埼玉県出身というところだ。

さらに、本多静六は『大日本老樹名誌』を著すとともに、『大日本老樹番付』も作成し、蒲生の大クス(鹿児島県)を東の横綱に据えるなど、現在私が会長をしている「全国巨樹・巨木林の会」にも深い関わりのある人物だ。

本多静六作成の大日本老樹番付(第22回巨木フォーラム会場(鹿児島県蒲生町)での展示)


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その全国巨樹・巨木林の会が開催地元と共催で毎年開催している「巨木を語ろう 全国フォーラム」が、来年は埼玉県秩父市で開催される(今年は、10月31日(土)・11月1日(日)に香川県小豆島で開催)。

その秩父市(大滝村)には、晩年に本多静六が埼玉県に寄付した山林が残されている(東京大学にも寄付して、秩父演習林となっている)。

これらの森林は、本多静六自身が築いた多額の資産の一部でもある。山林だけではなく、現金資産も公共に寄付し、現在でも埼玉県では「本多静六博士奨学金制度」を運用している。

このように、本多静六は、日本の公園の父としての業績だけではなく、苦学した経験を活かした「処世の達人」としても知られており、多くの著作も著している。

本多静六の膨大な著作(記念館内の展示)


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私は、本多静六の独自の実践的幸福論の数々も知らないし、『処世の秘訣』などの著作も読んではいない。

しかし、「職業の道楽化」は以前耳にしたことがあり、いたく気に入っている。

記念館に展示されている『本多静六人生訓』の中に「人生の最大の幸福は職業の道楽化にある」の一節もある。


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写真をクリックすれば拡大されます。職業の道楽化は、左から3行目


以前のブログでも記したけれども、「職業の道楽化」の一点だけは、本多静六の教えを忠実に実践していると自負できる?!



これまでたくさんのniceをありがとうございました。
はなはだ勝手ながら、都合により当分の間、niceを閉じさせていただきます。



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巨樹の番付 -本多静六と里見信夫

巨木フォーラム 群馬・高崎・倉渕

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全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考

 その他、国立公園については左上↑カテゴリーの「保護地域 -国立公園・世界遺産」を
巨樹・巨木については、同じくカテゴリー「巨樹・巨木」をご覧ください。

 


これまでたくさんのniceをありがとうございました。
はなはだ勝手ながら、都合により当分の間、niceを閉じさせていただきます。


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巨木フォーラム 群馬・高崎・倉渕 [巨樹・巨木]

 紅葉が始まった快晴の去る10月24・25日に群馬県高崎市倉渕町で、『巨木を語ろう 全国フォーラム』(巨木フォーラム)が開催された。

 巨木フォーラムは、1988(昭和63)年に兵庫県柏原町(現、丹波市)で第1回が開催されて以来、全国持ち回りで開催されてきた。四半世紀を迎えた2013年に青森市で第25回が開催され、昨年は伊豆市、そして今年の高崎市で第27回目だ。

 今回は、市町村合併前の倉渕村の市川元村長を会長とする「倉渕巨樹の会」が中心となった手作りの大会だ。フォーラム地元の倉渕中学校3年生全員による歓迎演奏に始まり、開会式、基調講演、発表と続き、最後には次回(来年10月予定)の香川県小豆島を代表して土庄町長に大会旗が引き継がれた。

 夜には懇親会が開かれ、全国から集まった巨樹愛好家たちが一年ぶりの再会を喜び、地元の人々との交流を深めた。懇親会の料理も、地元食材のコンニャク、下仁田ネギ、ソバをはじめとする手作りで、上州名物の焼きまんじゅうもおいしかった。

 翌日25日には、「赤城山コース」「妙義山コース」「榛名山コース」「白根山コース」の4コースに分かれて巨木ツアーを楽しんだ。悠久の時を経て、地元の人々に愛され、育まれ、守られてきた巨樹には、それぞれの物語があり、どれもが風情のある姿をしている。

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倉渕周辺では、紅葉も始まり、青空に映えて美しかった
 
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フォーラム会場となった「道の駅 くらぶち小栗の里」

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会場入り口には、手作りのモニュメントが

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倉渕中学校生徒の歓迎演奏

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私も共催の「全国巨樹・巨木林の会」会長として挨拶

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次回の小豆島土庄町長に大会旗の引き継ぎ


巨樹ツアー(赤城山コース)

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稲田のヤマナシ
樹齢300年ともいう県内で最大級の巨樹



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中之条のサイカチ
国道沿いのマメ科の巨樹

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横室の大カヤ
日本三大カヤの一つと言われる樹高25mの巨樹


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 赤城神社のたわらスギ
杉の巨木の多い赤城神社境内でも本殿脇の2本の杉は、樹齢1000年ともいわれ、
藤原秀郷(俵藤太)が平将門と国府(前橋市)に向かう途中で植えたという

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野の大クス
かつては所有者の母屋が樹冠で覆われたほど(現在は移築)

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連取の松
神社の拝殿正面のクロマツで、笠松とも呼ばれる
見事な枝張りは東西35m、南北26mだが、樹高は5m
連取(つなとり)町の町民約250名が参加し、枝を支える竹などの補修をするなど、
地元住民の愛着と誇りにより育まれてきた

 
全国巨樹・巨木林の会 http://www.kyojyu.com/  ご入会をお待ちしています

 【ブログ内関連記事リンク】

巨木フォーラム
 「縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡
 「四半世紀を迎えた巨木フォーラム
 「どこんじょう 震災にめげずに巨木フォーラム開催
 「震災復興への思いを込めて 被災地での巨木フォーラム
 「巨木フォーラム in つるぎ町 -巨樹王国を支える人々の熱き想い
 「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任
 「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考

巨木信仰など
 「パワースポット 来宮神社の大クス
 「クリスマスツリーと巨樹巨木信仰
 「巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵
 「諏訪の御柱祭と巨樹信仰
 「巨樹の番付 -本多静六と里見信生
 「悠久の時そして林住期 -余暇と巨樹とを考える


生物多様性カバー (表).JPG 【著書のご案内】

 世界は自然保護でなぜ対立するのか。スパイスの大航海時代から遺伝子組換えの現代までを見据えて、生物多様性や保護地域と私たちの生活をわかりやすく解説。
 対立を超えた共生を提言するなかで、巨樹の継承についても。

 本ブログ記事も多数掲載。豊富な写真は、すべて筆者の撮影。

 高橋進 著 『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』 明石書店刊 


 本ブログ記事 「対立を超えて -『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版4 」ご参照ください。


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パワースポット 来宮神社の大クス [巨樹・巨木]

 念願の来宮神社の大クス(大楠)を見て来た。何度も神社の近くまでは車で行ったことはあったが、大クスまで行ったことはなかった。

 静岡での用務が早く終ったので、急に思いたった。今年2回目のインドネシア行きの直前、3月始めだった。熱海の近くということは知っていたが、最寄り駅などはスマホのアプリで調べた。便利になったものだ。最寄り駅はJR伊東線の来宮駅だが、東海道線の熱海駅からも徒歩15分くらいというので、熱海駅で途中下車した。

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 神社までの山の斜面に沿った道からは、温泉街の先に春の陽光にきらめく海が臨めた。その温泉街がさびれたと言われて久しい。身売りされた旅館やリゾートマンションも多いと聞く。なるほど、解体工事中のホテルも見える。

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 伊東線のガードをくぐると、すぐに神社の入り口の朱塗りの鳥居が目に飛び込んでくる。その右手にも大クスがあるが、目当ての大クスはもっと奥のようだ。

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 本殿に参拝して、いよいよ裏手の大クスに到達した。神社作成の故事来歴書によると、延喜式神社の「来宮」(きのみや)神社は、かつては「木宮」と表記されたという。その社名の由来ともなった、ご神木の大クスは、樹齢二千年といわれ、1935(昭和8)年には国指定天然記念物にもなっている。1992(平成4)年の環境庁(当時)の全国巨樹巨木林調査によると、全国で鹿児島県の蒲生の大クスに次いで2位、本州で最大の幹周(約24m)という。さすがに、その節くれだった幹の巨大さに圧倒される。

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 なんでも、今から120年も前のこと、熱海村の漁業権にまつわる事件の訴訟費用をねん出するために伐採しようとしたところ、白髪の老人が現れて伐採を阻み、大ノコギリも真っ二つに折れてしまったとか。

 現在では、大クスの周りを一周すると寿命が一年延びるといわれ、老若男女で賑わっている。訪れたのが春休み中だったこともあってか、特に若い人の姿が目に付いた。最近は、パワースポットとかいうらしく、それもあって若者が押し掛けているらしい。春休みのせいだけではなかった。

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 ここでも、皆さん、巨樹の幹に手を触れて、その生命力にあやかりたいと祈っていた。洋の東西を問わず、パワーを持つ物には触れてみたくなるようだ。仏像でも、ヨーロッパの大理石像でも、多くの人に触れられて、そこだけ光ってツルツルになっていることがよくある。

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 そういえば、かつて樹医(現在の樹木医の名称がまだない頃)として全国を駆け回って銘木の治療をした山野忠彦さんと生前に交流したことがある。山野さんは、治療の際には必ず木の肌に手を当てて、木の声を聞くという。そして、巨樹から生命力をもらい、90歳を過ぎた当時、元気にしているとお話しされていた。その山野さんも、1998(平成10)年、98歳で生涯を全うされた。

 ところで、巨樹参拝の前に熱海駅前の食堂で食べたのが、これ。マグロ、アジ、キンメダイの刺身の三色丼定食(写真上)。これがまた、美味しくて安い。ついでに、たまたま本日入荷のメニューにあったマンボウの刺身も注文してみた。白身のやわらかい肉で、キモも添えられていた(写真下)。生まれて初めての経験だ。さすがに人気の店で、ネットでも紹介されているだけあって、ここでも若者たちの長い列が続いていた。

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 かくして、念願の巨樹探訪とグルメの旅は無事終わった。新緑の今頃は、ますます生命力にあふれていることだろう。

 (ブログ内関連記事)
 「クリスマスツリーと巨樹巨木信仰
 「巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵
 「縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡
 「四半世紀を迎えた巨木フォーラム
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 「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任

 その他、巨樹関係記事多数(マイカテゴリー「巨樹・巨木」参照)


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クリスマスツリーと巨樹巨木信仰 [巨樹・巨木]

 いよいよ明日はクリスマスイブ。この時期になると、毎年のことながら街中にはクリスマスのデコレーションが溢れている。ブログでも、クリスマスツリーネタが多い。私も負けずに、というわけではないが、クリスマスツリーについて一言。

 s-電飾ツリーDSC01314.jpg我が家の周囲でも、電飾された家の壁面をよく見かける。近所同士で競って、名所となっているところもあるらしい。節電の観点からはあまり感心できないが。

 今からふた昔も前になるが、12月に米国東部に滞在したことがある。ニューヨークのロックフェラーセンター前広場の巨大なツリーも印象深いが、郊外の家々の玄関ドアーに飾られたら素朴なクリスマスリースが懐かしい。

 ところで、クリスマスツリーはキリスト教以前の原始信仰に由来するといわれている。このブログでも、何回か記事で触れてきた。「巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵」 「諏訪の御柱祭と巨樹信仰

 s-丸の内電飾IMG_0042.jpgヨーロッパの高緯度地方では、冬の時期には日照時間が極端に短くなるというか、ほとんど太陽が出なくなる。そこで、ケルト民族などは古代から太陽信仰に根ざして、冬至の時期に祭りごとをしていた。もともと森の民は、オーク(カシ)などの巨木信仰を持っていたが、冬でも緑で葉の落ちない(常緑)モミの木は特に神聖な木として、悪霊除けなどにも用いたという。

 s-オーク巨木CIMG0115.jpgキリスト教普及期には、このような土着信仰の行事なども取り入れて拡大を図ったようだ。昨日(12月22日)の朝日新聞(be面)では、聖路加国際病院理事長の日野原重明さんがマルティン・ルターが教会にモミのクリスマスツリーを飾り出したという話を紹介していた。ちなみに、日野原さんは、正真正銘のクリスチャンだ。

 s-インドネシアツリーDSC01372.jpg先週滞在していたインドネシアは、国民の9割がイスラム教徒という。そのインドネシアでも、首都ジャカルタの巨大ショッピングモールには巨大なツリーやサンタなどが飾り付けられている。もともとインドネシアでは、イスラム教といっても西アジア諸国のような強い戒律ではなく、土着信仰も混在して息づいている。さすがに地方の食堂にはビールはないが、伝統的なドブロク的なものはあるところにはあるし、都会のマーケットでは地元産ビールのビンタン・ビールが山積みになっている。

 日本でも、別にキリスト教徒でもないのにクリスマスのイベントやツリーがあるし、仏教も神道も混在している(少なくとも、廃仏毀釈・神仏分離をしなければならないほどかつては混在していた)のだから、固いことは言わないことにしよう。

 宗教に関係なく、クリスマスツリーやサンタからのプレゼント、そしてケーキは、いつまでも子どもたちの思い出に残るだろう。それでよいのだ!!

 (写真右上) 電飾のクリスマスツリー(高松市内アーケード街)
 (写真左上) イルミネーションで飾られた街路(東京・丸の内)
 (写真右下) オークの巨木(ドイツ・ヴィルム島)
 (写真左下) インドネシアでのクリスマス装飾(ジャカルタ市内のショッピングモール)
 
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巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵 [巨樹・巨木]

 先月訪問した三内丸山遺跡での六本柱建物は、私に巨樹信仰を想起させた(「縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡」)。そしたら、偶然、先日読み終えた建築学者 藤森照信さんの『人類と建築の歴史』(ちくまプリマー新書)には、古代人の単に巨樹への信仰だけではなく、太陽信仰との関連があると記述されていた。

 s-三内丸山遺跡DSC01048.jpg藤森さんによると、日本の八百万の神々をはじめ、世界中にあるアニミズムは、旧石器時代の農耕と結びついた地母神信仰の所産であるという。

 その後の新石器時代になると、環状列石(ストーン・サークル)、立石(スタンディング・ストーン)、巨石墳墓(ドルメン)などの巨石文化が世界各地に出現した。これらの巨石文化は、太陽神信仰と結びついているという。巨石建造物、そびえ立つ柱は、太陽に向けて作られ、絶対性、唯一性を表現すべく、巨大で太陽にとどくほど高くなったという。

 s-ニューグレンジCIMG1259.jpgそういえば、以前訪れたアイルランドの巨石の世界遺産、ニューグレンでも内部に入ると、ガイドが電灯で冬至の日の出の光が墓室の最奥部にまで差し込むことを説明していた。マチュピチュ遺跡の太陽の神殿でも、夏至と冬至の日にだけ太陽光が射しこむように窓が作られていた。この類の太陽信仰と関連するものは、世界中にある。

 s-太陽の神殿DSC00610.jpgところで、この前の三内丸山遺跡のブログでは、縄文の巨樹と建物との関連は知らないと言いながら、吉野ヶ里遺跡、出雲大社、伊勢神宮などの巨柱の建物や諏訪大社の御柱祭に触れた(「諏訪の御柱祭と巨樹信仰」)。私は、巨木文化や巨樹信仰は、あの悠久の時を経てきた異形の姿、雄大さに、畏敬の念をもつことから始まったものだと思っていた。

 これについても、藤森さんは明快だ。つまり、巨柱や巨石のスタンディング・ストーンは、太陽信仰に基づく、魂の天への発射台だという。自然の樹や岩に神が寄りつく“依代”(よりしろ)や“磐座”(いわくら)という地母神的な水平なものではなく、天に向かう垂直のものだそうだ。そして、この巨柱(立柱)にカバーとしての神殿が作られたのが、出雲大社や伊勢神宮だという(詳細は、藤森さんの著書をお読みください)。

 s-インドネシア柱登りCIMG0480_2.jpg創建当初は40メートル近い高さといわれる出雲大社も、少しでも太陽に近づきたいという願望の表れと考えれば納得もいく。日本の門松やキリスト教のクリスマスツリーも、元をたどれば巨樹信仰につながることをきいたことがある。研究調査で訪問するインドネシアでは、独立記念日などに巨柱の上に贈り物を吊り下げ、若者がそれを登って手にするイベントがある。これもルーツは巨柱・巨木信仰なのだろうか。

 書物全体の3分の2ほどが、巨木文化と巨石文化に割かれている藤森さんの『人類と建築の歴史』。書名からは想像だにできなかったが、さすが「路上観察学会」まで立ち上げた幅広い見識からの建築史は、巨木文化と巨石文化にまで溯らざるを得なかったのだろう。

 s-オークCIMG0116.jpg洋の東西で、巨木文化と巨石文化はつながっている。そして、日本の縄文のクリに相当する西欧のオーク(ナラ、カシ)もドングリの木だ。ウィリアム・ブライアント・ローガン『ドングリと文明 -偉大な木が創った1万5000年の人類史』(日経BP社)や佐々木高明『日本文化の基層を探る -ナラ林文化と照葉樹林文化』(NHKブックス)も、文化と巨樹に関心のある人には一読の価値があるだろう。

 今回の読書は、図書館の廃棄本を手にしただけだったが、思いがけないところで「巨樹・巨木」に巡り会った。そして、何となく得した気分になった読後だった。これだから人生は楽しい。

 (写真右上) 三内丸山遺跡の六本柱掘立建物(復元)
 (写真左上) 巨石文化のひとつ 世界遺産ニューグレン(アイルランド)
 (写真右中) 太陽の神殿(世界遺産マチュピチュ遺跡・ペルー)
 (写真左下) 巨柱のイベント(インドネシア・ロンボック島にて)
 (写真右下) オークの巨木(ドイツ・ヴィルム島にて)

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縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡 [巨樹・巨木]

 先週、「第25回巨木を語ろう 全国フォーラムin Aomori」が青森市で開催された。共催者の「全国巨樹・巨木林の会」会長として、私も壇上に登り挨拶した。第1回にも参加した私には、やはり感慨もひとしおである。なにしろ、四半世紀も続いたのだから(「四半世紀を迎えた巨木フォーラム」)。これまで続いたのも、全国の会員および関係者の熱意の賜物であり、感謝申し上げる。

 今回のフォーラムは、地元の会員が中心になり、手作りのフォーラムを開催した。来年は、静岡県の伊豆市での開催が決まり、大会旗が出席した伊豆市の副市長さんに引き継がれた。

 s-ブナ林DSC01081.jpgところで、青森にはスギやケヤキをはじめとする巨樹が県内各地にある。また、世界遺産のブナ林で有名な白神山地のほか、十和田・八甲田山などの巨木林も多い。特にイチョウとして日本一の幹周を誇る深浦町北金ヶ沢の『垂乳根のイチョウ』(幹周2200㎝)(国指定天然記念物)をはじめ、国内最大級のイチョウの巨樹が県内巨樹ランキングの上位を占める。どうしてこんなにも県内にはイチョウの巨樹が多いのだろうか。

 以前から訪れたいと思っていた「三内丸山遺跡」に行った。私たちの年代の者が学校で習った縄文時代のイメージを大きく変える発掘があった遺跡だ。今から約5500~4000年前の1500年にわたり、日本最大級の縄文集落があったとされ、特別史跡にも指定されている。発掘された縄文土器、土偶、装身具などのなかでも、三内丸山遺跡を有名にしたもの、そして私が最も関心を持っていたものは、直径1メートルものクリ材を使用して正確な間隔で建てられていた「六本柱建物跡」だ。

 s-六本柱遺跡DSC01037.jpg縄文の時代には、周囲はクリ、トチノキ、クルミなど実のなる広葉樹で覆われ、また意識的にこれらの樹種を栽培してもいたという。しかし残念ながら、六本柱建物の復元に際しては、国内ではこのような巨樹材は手に入らず、ロシアのクリの巨樹を利用したという。ちなみに、環境省調査の巨樹・巨木林データベースによれば、直径1m(幹周330㎝)のクリは、全国で80本弱だ。

 縄文の巨樹の建物との関連は知らないが、吉野ヶ里遺跡の櫓や出雲大社、伊勢神宮などの巨大な柱をもつ建物も知られている。また、巨樹のシンボルともいえる柱を用いた諏訪の御柱祭りも有名だ。

 s-三内丸山遺跡DSC01048.jpg世界各地にも、巨樹信仰や巨樹に関連した文明は多い。以前訪れたアイルランドでも、泥炭地から出土した巨樹のカヌーを博物館で見たことがある。現在の荒涼とした樹木もみかけることができない姿からは想像もつかない。モアイ遺跡で有名なイースター島でも、巨石文明が誕生したのは、島が緑で覆われていた時代で、緑の消滅とともに文明も衰退したという(クライブ・ポンティング『緑の世界史』(朝日選書)ほか)。

 巨木フォーラムの四半世紀は、これら人類の文明史ではほんの一瞬だ。悠久の時を経てきた巨樹と張り合うこともできないが、末永く継続されるよう、これからも多くの方々のご支援を期待している。

 なお、東京62市区町村による共同事業の「ECOネット東京62」からの依頼で執筆した『地域とつながり、地域をつなぐ巨樹』が、「エコアカデミー第14回」としてアップされた。これまで、このブログでも取り上げた巨樹のドラマを掲載している。合わせてご覧いただければ幸いだ。

 (写真上)十和田のブナ巨木林
 (写真中)三内丸山遺跡六本柱遺構
 (写真下)復元された六本柱

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四半世紀を迎えた巨木フォーラム [巨樹・巨木]

 巨木好きの人々などが年に一度集う「巨木を語ろう 全国フォーラム」が、今年は10月に青森市で開催される。

 この巨木フォーラム。第1回目は、まもなく昭和も終わる昭和63年(1988年)10月に兵庫県柏原町(現、丹波市)で開催された。これから数えて、今回は第25回め、四半世紀にわたり続いてきたことになる。

 第1回目の柏原町には、樹齢千年ともいわれるケヤキの大木の根が奥村川をまたいで橋のようになった「木の根橋」がある。根はすぐ脇の町役場庁舎の下にまで伸びていた。樹勢の衰えたこの大木を守るため、庁舎の一部を解体して保護を図ることになった。その巨木保護の意義と努力を町民、そして全国の人々に知ってもらおうと始まったのが、巨木フォーラムだ。s-木の根橋.jpg

 当時、環境庁で「巨樹・巨木林調査」の担当だった私は、安井町長(故人)らの訪問を受け、フォーラム開催について協力した。フォーラムには、パネリストとしても参加した。その時から25年、今回は「全国巨樹・巨木林の会」会長として参加する。

 今年の青森でのフォーラムは、地元の巨樹関係者が手作りで開催する。10月12日(金)の午後からフォーラム、そして翌日から1泊2日で県内の巨樹探訪に出かけることになっている。詳細は、全国巨樹・巨木林の会ホームページで。 http://www.kyojyu.com/forum/2012/index.html

 なお、「全国巨樹・巨木林の会」も来年には設立20周年を迎える。20周年記念のイベントなども企画中だ。巨樹に関心のある方は、ぜひ入会もお願いしたい。s-蒲生の大クス1375.jpg

 四半世紀を迎えた巨木フォーラムだが、悠久の時を生きてきた巨樹からみればほんの一瞬のことだろう。しかし人間の尺度からは、そろそろ歴史をも生じてきたと言ったら大げさすぎるだろうか。いずれにしろ、当初から関わってきた者としては、感慨もひとしおだ。そして、巨樹のごとくとは言わないが、巨木フォーラムも末永く続くことを期待したい。

 第1回フォーラム開催のきっかけとなった木の根橋のように、各地に巨樹と人間とのドラマがある。巨木フォーラムでは、こうしたドラマに出会えるのが楽しみだ。その一部は、このブログでも紹介してきた。樹木医さんたちの日本樹木医会の機関誌「ツリードクター」に寄稿を依頼されて、これらドラマを紹介した(第19号、2012年発行)。

 今年のフォーラムでは、どのようなドラマが待ち受けているのだろうか。

 (写真上)第1回フォーラムの地、柏原町の木の根橋
 (写真下)日本一の巨樹 蒲生の大クス(鹿児島県蒲生町(現、姶良市)、第22回フォーラム開催地)

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巨樹との再会に思う [巨樹・巨木]

 ボゴール植物園(インドネシア)を久しぶりに訪れた私の目的の一つは、その巨樹に再会することだった。その巨樹とは、15年前に私がJICA生物多様性プロジェクトの初代リーダーとしてボゴールに住んでいた頃に初めて出会ったものだ。その巨樹は、フタバガキ科の大木で、巨大な板根を有している。日本に残してきた高校1年(当時)の娘が正月休みに来イした際に、インドネシアに連れてきた中学生(当時)の末娘と二人でその巨大な板根の上で写真を撮った。

 s-板根.jpgその写真は、今でも授業や講演などで熱帯雨林の特徴を紹介する際に使用することがある。熱帯雨林は温度も高く、菌類その他の生物も豊かで、落葉などはすぐに分解されてしまう。おまけに降雨量も多いから、流亡も激しく、養分の豊富な土壌の厚さは日本に比べればずっと薄く、樹木の根は浅い。一方で、高い温度と豊富な水分、そして強い日射は、樹木の成長を促進する。いわば巨体だが足腰の弱い相撲取りのようなものだ。熱帯林の中では、ダウンバーストと呼ばれる強い下降気流などにより横倒しになった巨木を見ることができる。その巨木の根は、まるでおちょこになった傘ように底が平らで薄い。そのため、巨体を支える支柱のような役目をしているのが板根だ。

 ボゴール植物園のその巨樹との久しぶりの再会だったが、それが写真と同じ樹木とはとても思えなかった。私の記憶の中の巨樹は、娘たちを抱きかかえて飲み込んでしまうような巨大な板根を持っているはずだった。しかし目の前にあるのは、確かに巨大な板根ではあるが、記憶の中の巨樹に比べればずいぶんと見劣りする。私は、ひょっとしたら他の樹木だったかもしれないと思い、懸命に目を凝らしながら園路を進んだ。結局はそれ以上の板根は現れなかったし、およその位置には間違いはないはずだから、例の写真の巨樹に違いない。まだ幼さの残っていた娘たちとの記憶の中の巨樹と、自分ひとりだけで眺めた巨樹と、同じ樹木のはずがまったく別のものとしか思えなかった。

 人の記憶とは、ずいぶん曖昧なものだ。時には、つらく苦しい記憶は忘れ去ってしまう。逆に、楽しかった思い出のみが積み重ねられていく。それが人類が長い歴史の中で獲得してきた生きる術というものなのだろう。私のインドネシアでの生活、子供がまだ幼かった頃の生活、を巨樹との再会で思い出した。この歳になると、そろそろ人生を楽しく悔いのない思い出で満たしておきたいと思うようにもなってくる。

 (写真)15年前の娘たちと板根のある巨樹の写真(ボゴール植物園にて)

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どこんじょう 震災にめげずに巨木フォーラム開催 [巨樹・巨木]

 10月29日、30日の両日、茨城県常陸太田市で「第24回巨木を語ろう全国フォーラム」が開催された。震災にめげずに、震災復興の象徴として、地元が一丸となり、熱意と期待を込めた開催だ。開催地の常陸太田市では、大震災により民家の屋根瓦が崩落したり、壁などに亀裂が入った建物も多かった。フォーラム会場となった市民交流センターでも、天井や内壁が崩落するなどの被害が生じた。

 その後も大規模な余震が続く中で、市民は自宅の修復とに追われ、原発事故の放射線汚染に不安を募らせていた。また会場の修復もままならず、フォーラムまでに工事が完了するかどうかも危ぶまれていた。フォーラム実行委員会では、一時は開催の断念も検討されたという。フォーラム共催者「全国巨樹・巨木林の会」会長の私も、無理なお願いをするわけにもいかず、地元での状況判断を待つ日々が続いた。

 s-巨樹モニュメント01078.jpgフォーラム実行委員会から開催の最終決定の朗報が届いたのは、夏を迎える頃だった。フォーラム開催を震災復興の起爆剤、シンボルにしたいとの願いからだ。開催まで3カ月を切る中での決断だった。全国巨樹・巨木林の会でも早速、全国の会員に開催の連絡をするなど、応援態勢に入った。

 こうして迎えた開催日、会場の入り口で参加者たちを出迎えたのは、「どこんじょう 巨樹」の手作りモニュメントだ。震災にもめげずにフォーラムを開催する市民のエネルギーを、風雪にも耐えて生き残ってきた巨樹に託したものだ。

 巨木フォーラムで特に感動したのは、地元の瑞竜(ずいりゅう)小学校55名の生徒全員の熱演による創作ミュージカル「命の輝き~瑞桜と共に」だ。小学校の校庭に植えられていた桜(現在、幹回り3.6m、高さ15m)は、祖父や父親の代から生徒を見守ってきた。

 しかし、木造校舎の鉄筋化に際して伐採されそうになった。校庭の中央を占拠する桜は、校舎建て替えや校庭の有効利用に邪魔なのだ。伐採の危機を救ったのは卒業生や在校生の熱意だった。こうして校庭中央に残った桜は、瑞竜小学校の"瑞"と桜から「瑞桜(ずいおう)」と命名された。現在では、新入生を迎えて満開の桜の下で全校生徒で記念写真を撮ったり、お花見給食も行われている。これからも、桜の下で遊ぶ子供たちを見守ることだろう。

 s-瑞桜01092.jpg市民の皆さんにも支えられ、「巨木フォーラム」も「第18回全国巨樹・巨木林の会総会」も、そして年に1回巨樹を愛する人々が集う交流会も、盛会裏に終了した。翌日の「巨木めぐりツアー」では、行く先々で地元の皆さんの心温まるおもてなしがあった。また、このフォーラムを機会に新たなカシの巨樹も発見された。

 未曾有の震災とその後の放射線汚染の風評被害からの復興の起爆剤となることへの主催者の願いも、全国から参集した会員、参加した地元の皆さんの熱意で実現したのではないだろうか。「巨木フォーラム」を契機に、ふるさとを再発見、再認識し、それがふるさとへの愛着と誇りに繋がってほしい。そして、幾多の困難の中を生き抜いてきた巨樹のように、震災から復興して発展してほしい。

 巨木めぐりツアーで出会った多くの巨樹を支えてきた人びと、そして瑞桜に見守られて育った多くの子供たち、こうした人びとと巨樹との交流が末永く続くことを切に願う。巨樹は、現代社会の効率性や金銭価値だけでない、人間にとってもっと大切なものがあることを教えてくれる。

 (写真上)どこんじょう 巨樹発信モニュメント(巨木フォーラム会場にて)(常陸太田市)
 (写真下)瑞竜小学校校庭中央で堂々と枝を張る「瑞桜(ずいおう)」(常陸太田市)

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巨木フォーラムと水墨画家雪村 [巨樹・巨木]

 いよいよ10月29日と30日に、茨城県常陸太田市で「第24回巨木を語ろう全国フォーラム(巨木フォーラム)」と「全国巨樹・巨木林の会総会」が開催される。

 東北南部から北関東ではいまだに余震が続き、地元の方々も気が気ではないだろう。そこを乗り越え、フォーラムが震災復興の源となることを期待したい。

 ところで、22日(土)(BSでは23日)のTV番組「美の巨人たち」を見たら、戦国時代の水墨画家 雪村周継の『呂洞賓図』を取り上げていた。絵画には疎く、お恥ずかしい限りだが、尾形光琳などにも影響を与えた人物らしい。この雪村、会津や北関東には縁が深く、巨木フォーラム開催地の常陸太田市にも滞在するなど大変所縁があるようだ。

 あわててWebで調べたら、茨城県の郷土工芸品に「雪村うちわ」があり、雪村が常陸太田市内の耕山寺に滞在していたときに創始したといわれている。市内には、「雪村の碑」もある。

 巨木フォーラム2日目のエクスカーションで訪れる予定の正宗寺は、雪村の出身である佐竹氏の菩提寺だ。そこには雪村の初期の作品『紙本著色 滝見観音図』が伝わっているという。果たしてみることができるのかどうかわからないが、急に雪村が身近に感じられてきた。

 全国巨樹・巨木林の会長として出席するフォーラムではあるが、それぞれの開催地での人々との交流、そして開催地の伝統文化、生活を垣間見るのもまた喜びだ。

 偶然のテレビ視聴が、楽しみをまた倍加してくれた。

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震災復興への思いを込めて 被災地での巨木フォーラム [巨樹・巨木]

 例年全国各地で開催される夏祭りや秋祭りも、今年はずいぶん様変わりしている。未曽有の被害をもたらした東日本大震災の被災者への哀悼と原発事故による節電とで、自粛・中止となった祭りやイベントも多い。一方で、被災地を勇気づけ復興を支援するために、あえて実施された祭りも多い。

 s-加茂の大クス3203.jpg毎年開催されている「巨木を語ろう全国フォーラム」も、そんなイベントの一つだ。震災復興を祈念して、本年10月に被災地でもある茨城県常陸太田市で開催される。巨木フォーラムは、今年度で24回目を数える。昨年5月に徳島県つるぎ町で開催されたフォーラムで、今年度は常陸太田市で開催することが決定され、大会旗も引き継がれた。地元では、「全国巨樹・巨木林の会」会員などが中心になり、開催準備を進めてきた。今年の3月10日には、水戸偕楽園で巨樹観察会もプレイベントとして開催された。その直後に起きたのが、東日本大震災だ。

 震災により多くの被害者を出し、その後も余震が続く中、地元では大きなイベントの開催は困難との考えが大勢を占めていた。しかし、町が少しずつ落ち着きを取り戻す中、いつまでも打ちひしがれるのではなく、巨樹のように力強く復興するために、巨木フォーラムを開催しようということになった。

 巨木フォーラムは、10月29日(土)午後に常陸太田市民交流センターで開催される。翌日には、4コースの巨樹めぐりツアーも開催される。また、フォーラムに先立って、29日午前中には「全国巨樹・巨木林の会第18回総会」も開催される。詳細は、全国巨樹・巨木林の会ホームページの2011年度巨木フォーラム案内(http://www.kyojyu.com/forum/2011/)を参照されたい。

 東日本大震災で被害を受けた方々には、自然に打ち負かされるだけではなく、うまく自然と折り合いをつけてきた先人の遺伝子を受け継ぎ、一刻も早く立ち直り元気になっていただきたいと思う。それに応援するのが、直接的な被害を受けなかった私たちにできることではないだろうか。私たちの生活もこれを機会に、自然を力で支配するのではなく、自然から学び、自然とうまく折り合いを付けた生活に替えていく必要がありそうだ。

 多くの方々のフォーラム参加と全国巨樹・巨木林の会への参加をお願いしたい。

 (写真) 昨年開催のつるぎ町の巨樹「加茂の大クス」

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巨木フォーラム in つるぎ町 -巨樹王国を支える人々の熱き想い [巨樹・巨木]

 去る5月29日(土)から30日(日)にかけて、徳島県つるぎ町で開催された「第23回巨木を語ろう全国フォーラム」に参加した。このフォーラムは、ブログでも何度か紹介しているとおり、巨樹・巨木を愛し、魅せられた人々が年に一度集うものだ。今回はタレントの高木美保さんや柳生真吾さんも参加するとあって、会場の貞光中学校体育館は約600人の聴衆であふれかえった。

 第1回は1988年に兵庫県柏原町(現、丹波市)で開催された。私は第1回フォーラムには環境庁(当時)の「巨樹・巨木林調査」担当者として参加した。それ以来、何度かフォーラムには参加しているが、今回は「全国巨樹・巨木林の会」会長としての参加だ。前回の鹿児島県蒲生町でのフォーラムにも参加したが、このときには次期会長として紹介されたわけだから、いわば今回が私の会長としてのデビューだ。全国巨樹・巨木林の会としては、フォーラムに先立ち午前中に第17回総会を開催した。フォーラムとは違って、こちらはこじんまりとした集まりだ。今回から、できるだけ会員相互の連携を取る意味で、活動報告などもお願いした。全国から馳せ参じて下さった会員の熱気が伝わる。

 前日に開催された巨木ツアーでは、エノキとしては全国一の「赤羽根大師のエノキ」をはじめとする一宇集落の巨樹巡りや四国一のトチノキ「桑平のトチノキ」と剣山、あるいは「津志嶽のシャクナゲ群落地」などを見学する4つのコースに、地元の方々も含めて多数が参加した。日程の都合で前泊できなかった私は、時間的に(体力的にも)余裕のある貞光の「二層うだつ」の街並みと国天然記念物「加茂の大クス」を見学するコースに参加した。

 s-加茂の大クス3203.jpg加茂の大クス(幹周約13m)は、昨年訪れた日本一の巨樹「蒲生の大クス」に比べれば確かに幹回りではやや劣るが、平地に枝を伸ばすその姿は、実に堂々として美しい。樹齢1000年と伝えられるが、今日に至るまでには、実に多難であったことは想像に難くない。もともと周囲は田んぼだったが、農薬などの影響もあり、ずいぶん樹勢が衰えた時期もあったようだ。そんな折に、地元の人々は衰え、枯損した大枝を断腸の思いで切り落とし、腐食防止のためにセメントを切り口に塗りこんだ。当時はまだ樹木治療技術が発達していなかったため、今から思えば少々手荒だったかもしれない。さらに人々は、周囲の田んぼからの農薬を除くために、耕作地を買い上げて草地として残すことにした。大クスも、こうした人々の想いに応えるかのように元気を取り戻し、今では傷口のセメントも樹皮で包み込むほどになった。草地となった大クスの周囲には、大クスを見上げ、敬うために散歩する人々が絶えない。その人々のために公衆便所が設置されたが、その掃除も地元の人が自主的に担っている。そうした人々の巨樹への想いに支えられて、大クスは今日も40m以上もの見事な枝ぶりの雄姿で加茂の大地に屹立している。「巨樹」、そこには自然と人々の長い歴史の中での深い関係が刻み込まれている。全国巨樹・巨木林の会も、巨樹に魅せられ、巨樹を愛し敬う多くの人々に支えられて、二層も三層もの「うだつ」が上がるような会となることを願ってやまない。

 (写真上) 加茂の大クス(徳島県つるぎ町にて) 

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諏訪の御柱祭と巨樹信仰 [巨樹・巨木]

 諏訪大社の御柱(おんばしら)祭が始まっている。中でも最大の見せ場である下社の御柱の木落としが9日から始まった。長さ18メートル、重さ7トンものモミの巨木を最大傾斜35度、長さ100メートルの急坂で一気に滑り落とすものだ。御柱に最後までまたがっていた者は、まさに英雄として後世にまで語り継がれるという。その栄誉を求めて、男たちが振り落とされないように巨木にしがみつく。毎回負傷者も出て、時には死者が出ることもある。7年に一度、4月初旬の棚木場(たなこば)からの山出しから始まり、5月に神殿の四隅に御柱を建てる曳き立てまでの2か月にもわたる伝統行事だ。

 s-バリ巨樹祠.jpg巨大な柱を有する神社建築としては、出雲大社や伊勢神宮が有名だ。創建当初の出雲大社は、現在の24メートルの倍以上の高さの建物であったとも考えられている。また、青森県の三内丸山遺跡では、直径約1メートルのクリ木柱の大型掘立柱建物跡が発見された。やはり高さ15メートルから20メートル、あるいはそれ以上以上の建物があったとも推測されている。いずれにしろ縄文時代から連綿として、巨木の柱を有する建物がこの日本列島の各地に建築されてきたことは確かだ。

 諏訪大社の御柱祭は、巨樹に対する信仰の一例、あるいは象徴としてしばしば取り上げられる。この巨樹信仰(巨木信仰)については、さまざまな角度から多くの著作も出版されている。たとえば、民俗学者の野本憲一氏は、その著『生態と民俗 -人と動植物の相渉譜』(講談社2008年)で資源保全や伝説も含めた人と動植物の関係の民俗事例を紹介しているが、その第1章めを「巨樹と神の森」に充てているほどだ。そして、巨樹に対して畏敬の念を持ち、そこに霊力を感じるのは、必ずしも日本人だけではない。東洋はもちろん、キリスト教以前のヨーロッパでもオークなどの巨樹信仰があったようだ。先日ある会合で安田喜憲氏(国際日本文化研究センター)から戴いた著作『山は市場原理主義と闘っている -森を守る文明と壊す文明との対立』(東洋経済新報社2010年)にも、そんな例が紹介されていた。多神教、アニミズムの世界では、巨樹はその重要要素の一つだ。

 s-伊豆三島神社のクス3062.jpg私は、環境省(当時は環境庁)で実施した「巨樹・巨木林調査」(1988年)を担当した際に、調査項目として位置や所有者、幹周などの基礎的な項目、根元の状況や健全度などの生態的な項目とともに、人文的な項目も加えることとした。人文的な項目とはすなわち、信仰対象の有無、独特の呼称・名称の有無、故事・伝承の有無、視認性および直接利用状況である。信仰対象では、神社や祠があるか、しめ縄が巻かれているか、禁忌(タブー)があるか、祭事があるかなどを調査した。通称「緑の国勢調査」と呼ばれていた「自然環境保全基礎調査」において、生態学的な観点と直接的な人為の影響の調査のほかに、こうした人文的な調査項目までも調査したものは当時では初めてだった。しかし、人と自然の関係の象徴でもある巨樹調査においては、人文的な項目は省くことはできないだろうと考えた。調査の結果は、調査対象となった幹周3メートル以上のおよそ6万本の巨樹のうち、信仰対象となっていたのは約22%だったが、私が独自に解析したところでは、幹周6メートル以上(直径約2メートル以上)に限ってみると40%以上が信仰対象となっていた。そして、巨樹の所有者はやはり社寺が60%以上を占め、イチョウやクスノキ、ヒノキでは社寺が70%にのぼった。巨樹は信仰の対象であり、また信仰の対象となることで伐採などから守られ巨樹が育まれてきたのだろう。

 悠久の時を経て今日に残る巨樹、それを見上げた時には誰もが畏敬の念を持つに違いない。その太い幹に抱きつきたくなる人もいるだろう。古代の人々も、洋の東西を問わず、こうした感情を抱いたに違いない。巨樹へのしめ縄やシンボルとしての御柱、さらには正月の門松やクリスマスのツリーなどにも姿を変えて、巨樹信仰(巨木信仰)は古代から現代にまで受け継がれてきている。

 (写真上)バリ島の巨樹の祠(インドネシア・バリ島にて)
 (写真下)しめ縄のある御神木(三島神社の夫婦クス、静岡県南伊豆町にて)

 (関連ブログ記事)「自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして」、 「悠久の時そして林住期 -余暇と巨樹とを考える」、 「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」、 「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」、 「巨樹の番付 -本多静六と里見信生」、 「バルト海の小島でワークショップ」、 「宮崎アニメ『もののけ姫』 人と自然」、 「アバター  先住民社会と保護地域


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巨樹の番付 -本多静六と里見信生 [巨樹・巨木]

 今日(3月14日)から大相撲春場所が始まった。引退した朝青龍は、相変わらず話題を振りまいている。ところで、巨樹にも「番付」があるのをご存じだろうか。今回は、「巨樹番付」についての話題だ。

 環境省では、1988年に全国の巨樹・巨木林調査を実施した。調査対象は、地上から1.3mの位置での幹の周囲が3m以上のものだった。調査の結果、6万本以上の巨樹が実際に測定され、記録された。調査の目的は、単に幹周だけではなく、故事・伝承、信仰対象、地域のランドマークなどの有無や周囲の状況、樹木そのものの枯損状況など多岐にわたった(ブログ記事「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」参照)。

 s-巨樹番付1370(1).jpgしかしなんといっても一番注目されたのは、やはり幹周だった。測定結果を太さ(幹周の大きさ)順に並べると自然にランキングができる。全国一の巨樹は、鹿児島県蒲生町の「蒲生の大クス」で、幹周はなんと24.22mもある(ブログ記事「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」参照)。全国第二位は、静岡県熱海市の通称「来宮神社の大クス」だ。全国ランキングでは、樹木の性質上クスノキが上位を独占したが、樹種ごと、県ごとなど、さまざまなランキングも発表された。その後も新たな発見が相次ぎ、ランキングは年々更新されている。最新のランキングは、環境省、全国巨樹・巨木林の会、奥多摩町日原森林館が協力して作成している「全国巨樹・巨木林巨樹データベース」でみることができる。これがまさに、巨樹番付だ。このいわば「環境省版の巨樹番付」以外にも、さまざまな巨樹のランキングがなされているが、名高いのは本多静六が作成した「大日本老樹番附」と里見信生が作成した「日本巨樹見立番附」(樹種ごと)だろう。

 本多静六は、1866年に現在の埼玉県菖蒲町で誕生した。日本最初の林学博士であり、東京農科大学(後の東京帝国大学農学部)の教授で、「大日本老樹名誌」も著している。「大日本老樹番附」は、1913年に東京農科大学造林学教室で作成発行されたものだ。また、本多は、日比谷公園や明治神宮をはじめとする全国各地の公園緑地の設計などを手掛けたことで有名だ。1930年には国立公園調査会委員に就任し、後に日本の国立公園の父とも称された田村剛とともに、わが国の国立公園制度創設にも大きく貢献した。さらに、独特の処世訓を残し、節約と貯蓄により巨万の富を築きながらも、大学退官後には公共のために寄付したことなどでも知られている。東大林学科を卒業し、国立公園行政に携わってきた私は、当然のことながら本多の名声は聞いていた。しかし、処世訓のことまでは最近まで知らなかった。その本多は、1952年1月29日、86歳でこの世を去った。

 s-巨樹番付3029.jpg里見信生は、金沢大学教授で、植物学者として日本植物分類学会会長も歴任した。植物学者としての活動の一環として、巨樹にも関心が深く、県単位の巨樹組織としては全国初の「石川県巨樹の会」を1989年に設立して会長を務めた。また、「全国巨樹・巨木林の会」の立ち上げにも参画し、初代会長を務めた。里見が作成した見立番附は、クスノキ、スギ、ケヤキ、イチョウなどの樹種ごとに、相撲番付表を模した体裁で自ら筆書きしたものだ。番附表の中央柱下には、勧進元として里見の名が記されている。この番附表は、私の研究室の壁を飾っている。また、落語にも造詣が深く、高等学校の帽章のコレクターとしても有名だ。自宅には、わざわざ倉庫を建て、コレクションを収蔵保管していたほどだ。私も、お宅を訪問した際にコレクションを拝見し、後日、母校の都立新宿高校の帽章を寄贈したことがある。その里見も、2002年6月2日、79歳の生涯を閉じた。

 本多静六も里見信生も、ともに巨樹のごとくスケールの大きな人物だった。本多は、「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。」(『我が処世の秘訣』)と説いたという。私は、人物のスケールではとても二人にはかなわない。しかし、子供のころから好きな自然を専門に学び、その自然を相手の仕事を今まで続けてきた。こうしてブログ記事を記しているのも、職業の道楽化の一端だ。「職業の道楽化」、唯一この点が、巨人に伍して誇れるところかもしれない。(敬称略)

 (写真上)本多静六「大日本老樹番附」(東の横綱「蒲生ノ大樟」、西の横綱は無し)
 (写真下)里見信生「日本欅見立番附」(東の正横綱「東根の大欅」(山形県)、西の正横綱「三恵の大欅」(山梨県)、東の張出横綱には「松の山の大欅」(新潟県)の名も)

 (関連ブログ記事)「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」、 「悠久の時そして林住期 -余暇と巨樹とを考える」、 「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」、 「意外と遅い?国立公園の誕生 -近代保護地域制度誕生の歴史

(2010/03/16 巨樹番付表の写真アップ更新)


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悠久の時そして林住期 -余暇と巨樹とを考える [巨樹・巨木]

 私の専門は、自然環境政策、なかでも最近では、生物多様性に関する国際環境政策の変遷や自然保護地域の管理と地域社会との関係などを研究している。また、保護地域管理にも関連するが、人々の自然の中での長時間滞在もテーマで、今年の夏にも箱根の芦ノ湖キャンプ村でアンケート調査を実施した。この長時間滞在にも関連する日本余暇学会では、研究論文誌の編集委員会委員長をしている。さらに、ブログ「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」 などでもお知らせしたとおり、20年以上にわたって「巨樹」にも関わってきた。今回のブログのテーマは、この「余暇」と「巨樹」についてだ。

 s-板根.jpg環境省が1988年(昭和63年)に実施した「巨樹・巨木林調査」によれば、幹周3メートル以上の樹木は、全国で6万本以上にのぼる。全国で一番幹周りが太いのは、先日巨木フォーラムが開催された鹿児島県蒲生町の「蒲生の大クス」(幹周24.22m)だ。わが国の巨樹には、このクス(楠)の種類が全国的に多いが、その他、屋久島の縄文杉や神社などに多いスギ、さらにはケヤキやイチョウなど様々な樹種がある。これらは、信仰の対象になったり、「峠の一本杉」のように地域のシンボルとなったり、いろいろな故事・伝承や禁忌(タブー)を有したり、あるいは独特の呼び名で親しまれていたりする。人を寄せ付けないような山奥にひっそりと残ってきた巨樹ももちろん多いだろうが、逆に人との関わりの中で生き残り、巨樹になったものも少なくない。

 巨樹を近くから仰ぎ見た時に、その覆いかぶさるような大きさに圧倒され、時に畏敬の念を抱いた経験を持った人も多いだろう。全国には巨樹に愛着を持ち、巨樹巡りをしている人も多い。中には、日本だけでは飽き足らず、海外の巨樹までも探訪している人もいる。こうした巨樹に関心を持つ人々が集い、「全国巨樹・巨木林の会」(ホームページhttp://www.kyojyu.com/)を設立して、毎年「巨木を語ろう全国フォーラム」を開催している。全国各地では、巨樹による「まちおこし」も盛んだ。

 このような巨樹の魅力はなんだろうか。大きさ、太さ、独特の異形・・・人により、巨樹により、その応えは様々だろう。しかし、誰もが認めるのが、人間を超越したその樹齢だろう。幹周りが太くなれない樹種でも、永年の風雪に耐えてきたその姿には、息を呑む力強さを感じる。それが畏敬の念ともなり、人々を惹きつける元となるような気がする。つまり、その魅力の根源は「悠久の時」なのだ。

 s-ヨセミテ国立公園セコイア.jpg翻って、「余暇」はどうだろうか。そこにもやはり、時間観念がある。余暇のほうは、巨樹の時間観念に比べれば、はるかに短い、まさに「寸暇」と呼ばざるを得ないほどのものかもしれない。私の持論では、「究極の余暇は何もしないこと」だ。何もしないといっても、なかなか難しいが、例えば自然の中でボーっとすることは、ある意味では、得がたい余暇の過ごし方だろう。わたしたち日本人、特に現代社会では、これはなかなか難しい。まさに究極の余暇になりつつある。そんな思いで、「自然の中での長時間滞在」をテーマとした研究を行っている。

 釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたと伝えられている。インドの古代思想では、人生には四つの段階があるという。いろいろと学ぶ「学生期(がくしょうき)」、結婚、仕事などの「家住期(かじゅうき)」、日常生活から離れて好きなことや瞑想をする「林住期(りんじゅうき)」、そして悟りを開く「遊行期(ゆぎょうき)」だ。まさに、巨樹の下や自然の中で思いを巡らす余暇の形態は、この林住期そのものではないだろうか。全国巨樹・巨木林の会に集う人々も、写真や絵画、文学などの芸術や自然科学の研究、観光、地域振興など、いろいろな思いで、巨樹の下に行き、巨樹を見つめ、巨樹の肌に触れている。このブログをご覧いただいた皆さんにも、「悠久の時」を経てきた巨樹の下で、「余暇」について是非思いを巡らし、語り合っていただきたい。少なくとも、巨樹を訪れることが、すばらしい余暇体験になることは間違いないだろう。

 (写真上) 熱帯の巨樹の板根(インドネシア・ボゴール植物園にて)
 (写真下) セコイアの巨樹(米国・ヨセミテ国立公園にて)

 (関連ブログ記事)「日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任」 「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」 「自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして」 「自然と癒し -日本人は自然の中でのんびり過ごせるか」  「繋がる時空、隔絶した時空 -携帯電話・インターネット考」 「インドネシアから帰国 -時は流れる」 「プロフィール

 *この記事は、筆者の「悠久の時 -巨樹から余暇を考える」(日本余暇学会ニュース61号,2008.1)に加筆修正しました。
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日本一の巨樹の町で全国巨樹・巨木林の会会長に就任 [巨樹・巨木]

 10月10日に、日本一の巨樹のある鹿児島県蒲生町で「第22回巨木を語ろう全国フォーラム」と「第16回全国巨樹・巨木林の会」が開催され、「全国巨樹・巨木林の会」の会長に就任することになった。実は、夏に開催された理事会で会長に選出されていたが、切りのよい総会を終了して引き継ぐことになっていた。私は、環境庁勤務時代の1998年に全国の巨樹・巨木林調査を企画実施し、兵庫県柏原町(現、丹波市)の第1回巨木を語ろう全国フォーラムにもパネリストとして出席した。その後、全国巨樹・巨木林の会の設立もお手伝いした。そんな縁で、いよいよ会長のお鉢が回ってきたというところだ。s-蒲生の大クス1375.jpg

 今回のフォーラムにも、全国の巨樹の写真を撮っている人、絵を描いている人、巨樹巡りを楽しみとしている人など、多くの人々が集まった。皆さん、まるで七夕のように年に1回の再会を楽しみにしている。また、各地には巨樹の保存や観察会などの活動をしている団体も多い。全国の会は、このようなさまざまな巨樹とのかかわりを持つ人たち・団体の集いの場、情報交換の場を提供し、巨樹保護に寄与しようという目的で1994年に設立された。設立に際しては、C.W.ニコル氏、梅原毅氏、岩槻邦男氏、河合雅雄氏、小林達雄氏、谷川健一氏、森ミドリ氏など、各界の著名人や県知事、市町村長など実に多くの方々に賛同いただいた。現在では、約300名の会員を擁するまでになった。会も設立して15年以上、フォーラムは20年以上も続いている。次回は、来年5月に徳島県つるぎ町での開催が予定されている。

 しかし、運営は容易ではない。まずは、専任の事務局がない。現在は、既存の財団法人の職員の片手間で事務を執っていただいている状態だ。情報交換事業が設立目的のひとつだが、そのためには日々の活動が重要である。しかし専任の職員もいないのでは、なかなか思うようにいかない。会誌も発行回数を制限せざるを得ない。会員、団体の拡充も課題だ。なんとか、各地で活動している団体や人たちの協力を得て、全国の会としての存在意義が高まるような活動と運営を心掛けたいと思っている。

 s-十曽エドヒガンザクラ1382.jpg熱心な方たちのなかには、各地の巨樹巡りをしている人たちも多い。私自身は、それほど積極的に巨樹を訪ねることはしてこなかった。それでも、用務地の近くに巨樹があれば、自然と足が向く。見上げるだけで、その大きさに圧倒されることも多い。対峙するだけで、厳かな気分にもなる。そして、悠久の時を経て巨樹がこれまで残ってきたわけを知りたくなる。多くの巨樹が、社寺境内で、人々の信仰の対象となってきたのもうなづける。独特の呼び名や言い伝えも有している。いよいよ枯損などが激しくなったものは、幾度となく樹木医による手当もなされている。そのどれもが、地域の人々との濃密な関わりを示している。地域の人々の関心の外になった巨樹は、衰退に向かう。これからも、地域のシンボルとして、人々の誇りや愛着の対象であり続けてほしい。地域の人々が、自分の郷土に愛着を持ち、誇りを持つようになることが、地域活性化の根本だ。全国巨樹・巨木林の会の活動が、その一助になることを願っている。

 全国巨樹・巨木林の会 http://www.kyojyu.com

 (写真上)日本一の巨樹、蒲生の大クス(鹿児島県蒲生町蒲生八幡神社にて)
 (写真下)日本一のエドヒガンザクラ(鹿児島県伊佐市奥十曽にて)

 (関連ブログ記事)「全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考」 「自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして」 「お天道さまが見ている -公と私の環境倫理」 「プロフィール」 「バルト海の小島でワークショップ
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自然の営みから学ぶ -人と自然の関係を見つめなおして [巨樹・巨木]

 数百年という悠久の時間に育まれ、一本で全天を覆うかのような圧倒的な迫力の巨樹。環境省の調査では、幹周り3メートル(直径約1メートル)以上の巨樹は全国で6万本以上という。「日本一」の巨樹は鹿児島県の「蒲生の大クス」で、なんと幹周24メートルもある。s-蒲生の大クス.jpg埼玉県内には、県内一の上谷の大クス(越生町)を初め、大久保の大ケヤキ(さいたま市桜区日枝神社)などがあり、春日部市内でも、碇神社のイヌグス(粕壁東)などが県天然記念物にも指定されている。私たちは巨樹を前にすると、畏敬の念さえ抱く。多くの巨樹には注連縄(しめなわ)や祠が祭られ、数々の伝承がある。こうした自然の見方や付き合い方、すなわち自然観は、その時代、その地域の文化や社会・経済システムを反映している。

 今日の私たちの便利で快適な生活は、近代科学に負うところが大きい。欧米で発展したこの近代科学は、人間による自然支配を前提としているところがある。これはキリスト教思想によるという説がある。聖書の創世記には、神は人間のために自然を創ったと記されている、というのだ。こうしたキリスト教やユダヤ教などの一神教に対して、仏教や神道を含め、巨樹信仰などのようなアジアの多神教は、自然と一体的で自然にやさしいとみなされている。もっとも、ヨーロッパでもギリシャ時代などのように多神教の時代、地域もあった。

 日本は国土の7割近くが森林という、世界でも有数の森林国家だ。自然の豊富な日本では意識せずとも自然と一体的な生活を送ってきたが、現代の日本人の多くは自然から隔絶した生活を送っている。最近は、都会生活に疲れた人々に対する森林の癒し効果が注目を集めている。フィトンチッドなど樹木から発散される化学物質がその効果を高めているらしい。今では一般的な「森林浴」という用語も、1982年に登場した造語だ。自然・生物は単に食料や薬品などの資源を提供してくれるだけでなく、芸術や文化、あるいはレクリエーションを含め、精神的にも人間生活にとって不可欠のものだ。

 身近な巨樹たちは、私たちの祖先が巨樹と共に生きてきた証を語ってくれる。巨樹は、私たち人間と自然との関わりの歴史であり象徴でもある。また自然は、多くの種が生存競争をし、また助け合いながら生きること、つまり画一的であるよりも多様であることの方が、健全で強い生物社会を作り上げることを教えてくれる。これが「生物多様性」だ。作物でも同様だ。東南アジア各国ではかつて、食糧不足解消のために「緑の革命」として夢の多収穫米を競って作付けした。しかしこの単一耕作に病虫害が発生して全滅し、以前よりもかえって飢饉が激しくなったという苦い経験がある。規格化、画一化と多様。人間社会でも同じことがいえるのではないだろうか。長い歴史を生きてきた巨樹や多様な生物の織り成す自然の営みから、私たちが学ぶべき事柄は多い。

 (写真) 日本一の巨樹「蒲生(かもう)の大クス」(鹿児島県蒲生町にて)

(この記事は、2005年3月 タウンねっと NO.13 (連載最終回) に掲載されたものです。)


 (関連ブログ記事) 全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考 お天道様が見ている
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全国巨樹・巨木林の会と巨樹調査再考 [巨樹・巨木]

 7月5日に秋田県角館で開催された「全国巨樹・巨木林の会総会」に参加しました。私は、この会の理事も仰せつかっています。全国巨樹・巨木林の会は、いわゆる巨樹(巨木)に関心のある人々や保護活動などに携わる団体などの交流を目的として、1993年に設立されました。総会時には、「巨木を語ろう 全国フォーラム」も併せて開催されています。s-木の根橋.jpg

 一口に巨樹あるいは巨木といっても、そのイメージは人によって様々でしょう。全国には一体どのくらいの巨樹があるのでしょうか。環境省では、1988年に全国の巨樹・巨木林の一斉調査を実施しました。これは、いわゆる「緑の国勢調査」と呼ばれている自然環境保全基礎調査の一環です。その時の担当者が私で、そのご縁で、全国巨樹・巨木林の会の設立にも携わり、理事も務めているというわけです。

 1988年の調査に次いで、2000年にもフォローアップ調査が実施されました。調査対象は、幹周(幹回り)が3m以上のもの、という単純なものです(巨木林は、これらの巨樹がある程度まとまっている樹林)。この結果、全国で6万8千本あまりの巨樹が調査・確認されました。全国一の巨樹は、鹿児島県蒲生町にある「蒲生の大クス」で、幹周は約24.2mです。来年の総会・フォーラムは、この蒲生町で開催されます。有名な縄文杉(屋久島)は、幹周16.1mで12位です。巨樹としては、全国的にはスギが圧倒的に多く、ケヤキ、クスノキ、イチョウというような順番なのですが、太くなる樹種としては、トップ10のうち6本がクスノキです。詳しくは、環境省生物多様性センターや全国巨樹・巨木林の会のホームページをご覧ください。

 ところで、巨樹の定義はあるのでしょうか。私もつい、幹周をもとに巨樹のランキングを書いてしまいました。一般的には、環境省の巨樹の定義として「地上から1.3mの幹周が3m以上の樹木」と言われています。しかし、これはあくまで「調査対象」の樹木であって、巨樹の定義ではありません。巨樹としては、樹高や樹齢もあるでしょうが、これは調査が困難なため、測定しやすい幹周を調査することにしたのです。調査対象として、直感的にもわかりやすいところで、およそ直径で1mというのが出発でした。北と南の地域によっても、樹種によっても、巨樹と呼ばれるものも変わるでしょうから、調査の結果からこれを見極めて保全の資料にしようと考えたわけです。それが、巨樹の定義になってしまったのです。これも、数字が独り歩きをした例でしょう。

 1988年の調査の際には、できるだけ全国で巨樹への関心を高めて、調査情報を得ようと考えました。そこで、太い木が発見されるたびに、地方紙などで発表をしてもらいました。おかげで、巨樹に対する関心は高まったのですが、どうも太さ(幹周)に集中しているようです。調査では当時の緑の国勢調査としては珍しく、地域のシンボルとなっているか、故事・由来があるか、信仰対象となっているか、などのいわば人文的な項目も調べました。これも、人と巨樹との関わりが保存への原動力との思いからです。こちらの方へも関心を向けてもらいたいものです。

 悠久の時を経て、人や地域との関わりの中で生きてきた「巨樹」、そしてそれを通じた人々の輪を今後も大事にしたいと、あらためて思い起こした総会参加でした。

 (写真) 第1回巨木フォーラム(1988年)が開催された兵庫県柏原町(現、丹波市)の「木の根橋」(大ケヤキ)
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