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巨木文化と巨石文化 -巨樹信仰の深淵 [巨樹・巨木]

 先月訪問した三内丸山遺跡での六本柱建物は、私に巨樹信仰を想起させた(「縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡」)。そしたら、偶然、先日読み終えた建築学者 藤森照信さんの『人類と建築の歴史』(ちくまプリマー新書)には、古代人の単に巨樹への信仰だけではなく、太陽信仰との関連があると記述されていた。

 s-三内丸山遺跡DSC01048.jpg藤森さんによると、日本の八百万の神々をはじめ、世界中にあるアニミズムは、旧石器時代の農耕と結びついた地母神信仰の所産であるという。

 その後の新石器時代になると、環状列石(ストーン・サークル)、立石(スタンディング・ストーン)、巨石墳墓(ドルメン)などの巨石文化が世界各地に出現した。これらの巨石文化は、太陽神信仰と結びついているという。巨石建造物、そびえ立つ柱は、太陽に向けて作られ、絶対性、唯一性を表現すべく、巨大で太陽にとどくほど高くなったという。

 s-ニューグレンジCIMG1259.jpgそういえば、以前訪れたアイルランドの巨石の世界遺産、ニューグレンでも内部に入ると、ガイドが電灯で冬至の日の出の光が墓室の最奥部にまで差し込むことを説明していた。マチュピチュ遺跡の太陽の神殿でも、夏至と冬至の日にだけ太陽光が射しこむように窓が作られていた。この類の太陽信仰と関連するものは、世界中にある。

 s-太陽の神殿DSC00610.jpgところで、この前の三内丸山遺跡のブログでは、縄文の巨樹と建物との関連は知らないと言いながら、吉野ヶ里遺跡、出雲大社、伊勢神宮などの巨柱の建物や諏訪大社の御柱祭に触れた(「諏訪の御柱祭と巨樹信仰」)。私は、巨木文化や巨樹信仰は、あの悠久の時を経てきた異形の姿、雄大さに、畏敬の念をもつことから始まったものだと思っていた。

 これについても、藤森さんは明快だ。つまり、巨柱や巨石のスタンディング・ストーンは、太陽信仰に基づく、魂の天への発射台だという。自然の樹や岩に神が寄りつく“依代”(よりしろ)や“磐座”(いわくら)という地母神的な水平なものではなく、天に向かう垂直のものだそうだ。そして、この巨柱(立柱)にカバーとしての神殿が作られたのが、出雲大社や伊勢神宮だという(詳細は、藤森さんの著書をお読みください)。

 s-インドネシア柱登りCIMG0480_2.jpg創建当初は40メートル近い高さといわれる出雲大社も、少しでも太陽に近づきたいという願望の表れと考えれば納得もいく。日本の門松やキリスト教のクリスマスツリーも、元をたどれば巨樹信仰につながることをきいたことがある。研究調査で訪問するインドネシアでは、独立記念日などに巨柱の上に贈り物を吊り下げ、若者がそれを登って手にするイベントがある。これもルーツは巨柱・巨木信仰なのだろうか。

 書物全体の3分の2ほどが、巨木文化と巨石文化に割かれている藤森さんの『人類と建築の歴史』。書名からは想像だにできなかったが、さすが「路上観察学会」まで立ち上げた幅広い見識からの建築史は、巨木文化と巨石文化にまで溯らざるを得なかったのだろう。

 s-オークCIMG0116.jpg洋の東西で、巨木文化と巨石文化はつながっている。そして、日本の縄文のクリに相当する西欧のオーク(ナラ、カシ)もドングリの木だ。ウィリアム・ブライアント・ローガン『ドングリと文明 -偉大な木が創った1万5000年の人類史』(日経BP社)や佐々木高明『日本文化の基層を探る -ナラ林文化と照葉樹林文化』(NHKブックス)も、文化と巨樹に関心のある人には一読の価値があるだろう。

 今回の読書は、図書館の廃棄本を手にしただけだったが、思いがけないところで「巨樹・巨木」に巡り会った。そして、何となく得した気分になった読後だった。これだから人生は楽しい。

 (写真右上) 三内丸山遺跡の六本柱掘立建物(復元)
 (写真左上) 巨石文化のひとつ 世界遺産ニューグレン(アイルランド)
 (写真右中) 太陽の神殿(世界遺産マチュピチュ遺跡・ペルー)
 (写真左下) 巨柱のイベント(インドネシア・ロンボック島にて)
 (写真右下) オークの巨木(ドイツ・ヴィルム島にて)

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