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縄文の巨樹に思いを馳せて -第25回巨木フォーラムと三内丸山遺跡 [巨樹・巨木]

 先週、「第25回巨木を語ろう 全国フォーラムin Aomori」が青森市で開催された。共催者の「全国巨樹・巨木林の会」会長として、私も壇上に登り挨拶した。第1回にも参加した私には、やはり感慨もひとしおである。なにしろ、四半世紀も続いたのだから(「四半世紀を迎えた巨木フォーラム」)。これまで続いたのも、全国の会員および関係者の熱意の賜物であり、感謝申し上げる。

 今回のフォーラムは、地元の会員が中心になり、手作りのフォーラムを開催した。来年は、静岡県の伊豆市での開催が決まり、大会旗が出席した伊豆市の副市長さんに引き継がれた。

 s-ブナ林DSC01081.jpgところで、青森にはスギやケヤキをはじめとする巨樹が県内各地にある。また、世界遺産のブナ林で有名な白神山地のほか、十和田・八甲田山などの巨木林も多い。特にイチョウとして日本一の幹周を誇る深浦町北金ヶ沢の『垂乳根のイチョウ』(幹周2200㎝)(国指定天然記念物)をはじめ、国内最大級のイチョウの巨樹が県内巨樹ランキングの上位を占める。どうしてこんなにも県内にはイチョウの巨樹が多いのだろうか。

 以前から訪れたいと思っていた「三内丸山遺跡」に行った。私たちの年代の者が学校で習った縄文時代のイメージを大きく変える発掘があった遺跡だ。今から約5500~4000年前の1500年にわたり、日本最大級の縄文集落があったとされ、特別史跡にも指定されている。発掘された縄文土器、土偶、装身具などのなかでも、三内丸山遺跡を有名にしたもの、そして私が最も関心を持っていたものは、直径1メートルものクリ材を使用して正確な間隔で建てられていた「六本柱建物跡」だ。

 s-六本柱遺跡DSC01037.jpg縄文の時代には、周囲はクリ、トチノキ、クルミなど実のなる広葉樹で覆われ、また意識的にこれらの樹種を栽培してもいたという。しかし残念ながら、六本柱建物の復元に際しては、国内ではこのような巨樹材は手に入らず、ロシアのクリの巨樹を利用したという。ちなみに、環境省調査の巨樹・巨木林データベースによれば、直径1m(幹周330㎝)のクリは、全国で80本弱だ。

 縄文の巨樹の建物との関連は知らないが、吉野ヶ里遺跡の櫓や出雲大社、伊勢神宮などの巨大な柱をもつ建物も知られている。また、巨樹のシンボルともいえる柱を用いた諏訪の御柱祭りも有名だ。

 s-三内丸山遺跡DSC01048.jpg世界各地にも、巨樹信仰や巨樹に関連した文明は多い。以前訪れたアイルランドでも、泥炭地から出土した巨樹のカヌーを博物館で見たことがある。現在の荒涼とした樹木もみかけることができない姿からは想像もつかない。モアイ遺跡で有名なイースター島でも、巨石文明が誕生したのは、島が緑で覆われていた時代で、緑の消滅とともに文明も衰退したという(クライブ・ポンティング『緑の世界史』(朝日選書)ほか)。

 巨木フォーラムの四半世紀は、これら人類の文明史ではほんの一瞬だ。悠久の時を経てきた巨樹と張り合うこともできないが、末永く継続されるよう、これからも多くの方々のご支援を期待している。

 なお、東京62市区町村による共同事業の「ECOネット東京62」からの依頼で執筆した『地域とつながり、地域をつなぐ巨樹』が、「エコアカデミー第14回」としてアップされた。これまで、このブログでも取り上げた巨樹のドラマを掲載している。合わせてご覧いただければ幸いだ。

 (写真上)十和田のブナ巨木林
 (写真中)三内丸山遺跡六本柱遺構
 (写真下)復元された六本柱

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