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イベント自粛と被災地との連帯 -自粛の連鎖から多様性を考える [ちょっとこだわる:民俗・文化・紀行・時事など]

 東日本大震災から1か月余が過ぎた。ここで改めて、亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 この間、被災地のみならず日本中で生活に大きな影響があった。歴史にも残るであろう大災害なのだから当然かもしれない。これまでの文明・価値観が問われることになるかもしれないとも思う。また、日本人の災害時でも冷静な態度や助け合いの態度は、世界からも称讃された。

 前回のブログ「地震ニュースとCMの多様性 -私的テレビ時評」でも、世の中を考えるよい機会だと思うと書いた。特に、震災に続いて起きた原子力発電所事故により、電気への依存、原子力への依存について問われることになった。電気需給の問題から、計画停電も実施され、また節電も各所で実施されている。自販機の節電が政治問題化しているが、疑いもなしの24時間の電力消費を前提とした便利な“文明社会”は、ここらでもう一度見直す必要があると思う。

 全国的な節電ムードと同時に、イベントの自粛ムードも高まっている。大学の卒業式の中止は、窓ひとつない市民会館を会場としているため、停電の際には混乱するというのが理由で、私も納得できた。しかし、現在各地で決定されているイベントの中止は、必ずしも節電のためや停電と余震による混乱だけが理由ではないのではないか。まだまだ大変な生活を余儀なくされている被災者の方々に対して、浮かれていては申し訳ないというのも理由のようだ。

 s-浜降り祭0785.jpgしかし、祭りやイベントの自粛によって、本当に被災地と連帯することになるのだろうか。確かに浮かれている場合ではない。イベントによる電力消費や地震の際の混乱を考えたらやむを得ないかもしれない。でもそれが、他所でも自粛しているのに自分たちだけ実施するわけにはいかない、という外部からの見えない強制力による受動的な自粛だったら、本当に被災地の復興を願うことにつながるのだろうか。

 なにやら、昭和天皇崩御の際の歌舞音曲の自粛ムードを思い出してしまうのは、私だけだろうか。オイルショック時のネオンサイン消灯や深夜テレビ放映中止などの節電も、その後のバブル期の華々しさの前ではすっかり忘れ去られてしまった。今回もそうならなければよいのだが。表面的な同調、ましてや他者と異なることへの恐怖感からの自粛の連鎖では、被災地との連帯にもならないのではないか。

 このところ、被災地でも様々なイベントをむしろ積極的に開催して、復興を元気づけようとの動きがあるという。自粛にしろ、開催による元気づけにしろ、周囲と異なることへの恐れからの画一化ではなく、それぞれが主体的に決定するという個性と多様性を尊重したいものだ。

 ついつい周囲を気にしてしまう私も、「生物多様性」をテーマのこのブログを書くことを通じて、自然の摂理から“画一化”と“多様性”について学び、さらに考えていきたい。今後も折に触れ、“何たって多様性”を取り上げていこう。日本が元気になるためにも。

 (写真) 自粛されるかもしれない夏祭り(茅ヶ崎・浜降り祭)

 (関連ブログ記事)
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