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風景への審美眼を一変 指定30周年を迎えたわが国最大の湿原 -国立公園 人と自然(21) 釧路湿原国立公園 [   国立公園 人と自然]

日本離れした見渡す限りのキタヨシの草原と点在するハンノキ林、その間を縫う蛇行河川の風景。

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テレビで目にするキリンやゾウが生息するアフリカのサバンナ(草原)を連想させる。

そこには、タンチョウをはじめ、キタサンショウウオや幻の魚とも呼ばれる巨大魚イトウなど貴重な動物が生息している。

わが国最大の湿原であり、水鳥と湿地保護のための条約、ラムサール条約のわが国第1号の登録湿地でもある。

しかし、釧路湿原は、80年以上の歴史を有する日本の国立公園の中で、国立公園に指定されたのは意外と新しい1987年7月だ。

そう。今年で指定30周年を迎えたばかりなのだ。

こんなに貴重な湿原がなぜ30年前に国立公園指定なのか、疑問に思うのも無理はない。
そこには、日本人の風景観や自然保護思想の変遷が読み取れる。

釧路湿原は、数万年という気の遠くなるような長期間の気候変動と海水の進退によって形成され、約3000年前に現在の姿に近い湿原になったといわれている。

寒冷で霧の発生が多く泥炭が発達したこの地域は農業にも適さず、長らく人間活動の対象地とはならなかった。

最近はあまり耳にしなくなったが、不毛の原野「根釧原野」という呼び名がそのことを象徴している。


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その根釧原野に「釧路湿原」という名を与えたのは、植物学者の田中瑞穂だった。

1931年に制定された「国立公園法」から始まるわが国の国立公園は、箱庭的で多様な風景が寄せ集まった地域をわが国の代表的風景地として指定してきた。

ところが、釧路湿原はあまりに広大で単調すぎて、当時の尺度には合わず、候補地にもならなかった。

湿原周縁部では徐々に埋め立てが進み、農地、住宅、工場あるいはゴミ処理場となったが、多くは湿原のまま残っていた。

それでも日本中が列島改造で沸き返っていた頃には、釧路湿原周辺でも土地投機ブームが起き、まだ見ぬ北の果ての大地を別荘用地として買い求める本州の人が後を絶たなかった。
湿原周辺の土地は細分化され、あちこちに測量杭が打たれ、区画を示すビニールテープが張られた。

そうした中で、釧路湿原の保全を求める学者や地元の人々は、釧路自然保護協会を中心に保全運動を始めた。協会では、原生自然環境保全地域か地元の北海道知事が指定申請(申し出)できる国定公園の指定を求めていた。

私は当時、阿寒国立公園阿寒湖畔事務所に赴任していたが、環境庁(当時)の本庁からの指示により、釧路湿原の保全についての構想案を作成した。

1978年に環境庁に提出した「釧路湿原保全構想」の中で、「国立公園」構想を提案した。
これは、湿原の中央部の多くが大蔵省(当時)所管の普通財産、すなわち国有地であることから、アメリカ型の営造物制公園管理が可能になると考えたからである。

そこでは、いわゆる観光的な公園利用は排除して、環境教育や生態研究などを中心的な利用とし、公園内にはレンジャー同乗のシャトルバス以外は乗り入れないなど、理想に近い公園管理を想定した。

その後1987年に国立公園として指定され、これまでの国立公園のような風景保護や観光利用だけでなく、生態系保全を念頭に入れ、自然体験や自然観察、研究利用などに重点が置かれた利用などの公園管理がなされている。

さらに直線化された河川を元の蛇行河川に戻すなどの「自然再生」事業も実施されてきた。

こうして釧路湿原は、道東の主要観光地の一つになったのだった。

やや高台の湿原の縁にあたる北斗(ほくと)には、釧路市が整備した「湿原展望台」がある。
館内には湿原を再現したジオラマや湿原の生物などの展示があり、屋上などから湿原を見ることができる。ただし、展示室は有料。

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ここを起点に歩道が整備されていて、1周2.5km、1時間ほどでゆっくり散策できる。

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ミズナラの林内には、バイケイソウが。

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ヤマブキショウマ(上)とコンロンソウ(下)も。(8/20追記 写真も)

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木道には、エゾハルゼミの抜け殻。


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北斗展望台園地(サテライト展望台)からは、湿原を一望のもとに見ることができる。

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恩根内(おんねない)には、環境省が整備した「恩根内ビジターセンター」がある。
湿原の自然などの展示と、自然解説ツアーなども実施されている。

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ビジターセンターからは歩道が整備されていて、湿原を間近に観察できる。

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訪れた6月下旬は、カキツバタが満開だった。

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食虫植物のタヌキモも、黄色の可愛い花を咲かせていた。

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ヤナギトラノオも黄色 (8/20追記 写真も)

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ワタスゲはやや終りに近く、代わりにガマの穂ができていた。

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このほか湿原観察や探訪には、コッタロや細岡などにも湿原の展望台があり、塘路湖エコミュージアムセンターなどもある。


かつては見向きもされなかった湿地・原野が、今では雄大な景観の国立公園として、多くの観光客を惹きつけている。

日本の国立公園誕生時の風景保護から、生態系、現在でいう生物多様性の保全を前面に押し出して指定された国立公園の先駆けともいえよう。

若き日に、ゴムボートで釧路川から湿原内に入り込んだり、湿原周辺の岬と呼ばれる丘陵地から湿原を眺めたりしてから40年。

悠久の時を経た湿原は、変わらぬその姿で私にしばしの感傷の時を与えてくれた。

40年前の湿原の写真

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1987年7月指定 28,788㌶
北海道

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知床五湖 観光客の増加と野生との共生? -国立公園 人と自然(5 追補)知床国立公園

意外と遅い?国立公園の誕生 -近代保護地域制度誕生の歴史

日本の国立公園は自然保護地域ではない? -多様な保護地域の分類

『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版2 ―第Ⅱ部 国立公園・自然保護地域をめぐる国際関係



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網走監獄と北方民族博物館 [日記・雑感]

ご訪問ありがとうございます。まだまだ道東の旅が続きます。

知床五湖から、網走に向かった。

網走では、何といっても「網走監獄」。
実際の刑務所ではなく、現在では博物館として明治時代に建てられた昔の建物を移築したり、復元して、展示している。

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正門を入ると、その奥には重要文化財の旧網走監獄「庁舎」がある。
ここでは、囚人による開拓の歴史などが展示されている。

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同じく重要文化財の旧網走監獄「舎房」は、いわゆる牢屋の建物だ。

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5棟が放射状に広がり、その中央には「中央見張所」が置かれていて、ここ1カ所からすべての棟を見渡すことができた。

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昭和59年(1984年)まで実際に網走刑務所の獄舎として使用されていたという(その後、当地に移築)。
高倉健さんなどの任侠映画のモデルたちも、ここで過ごしていたのかな。

独居房(上)と雑居房(下)

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「二見ケ岡刑務支所」は、木造刑務所として日本最古の建物で、重要文化財に指定されている。(写真左の建物)

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内部は雰囲気の良い旅館のようだが、部屋と廊下の境には格子があり獄舎であることをいやでも思い出させる。部屋奥の箱のようなものは、トイレの目隠し。

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ここでは農園作業も行っていたが、作業中も「高見張り」から監視されていた。

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食事中も、監視が立ち会い。

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同じ独居房でも、規則違反者が入れられた「煉瓦造り独居房」(登録有形文化財)は、戸外の小さな建造物(明治末建造)。
極寒の網走の地で、食事の量も減らされ、窓もない暗闇の世界で孤独に耐える。
受刑者が恐れた場所だったというのもうなずける。

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そして、「浴場」。
入浴時間15分という制限のある倶利伽羅紋々(くりからもんもん)(刺青)の人たちの入浴シーンが再現されている。

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この博物館の展示で、一番迫力のあったような(笑)

構内は広く、東京ドーム3.5個分とか。ここに25もの建物があり、今回紹介したのはその一部。


監獄のあとは、同じ網走市内の「北方民族博物館」へ。

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アイヌ民族やオホーツク海沿岸の民族はもちろん、アラスカやグリーンランドのイヌイット(エスキモー)、スカンディナビアのサミ民族など、広く北方の民族の文化(衣食住、儀礼、伝統など)を紹介、展示している。

無料の音声ガイドもあるので、じっくり見たいところだ。

各民族の様々な衣類(写真は、アザラシの腸から作られたアリュートやイヌイットなどの防水衣料)。

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舟(カヌー)や楽器も多彩だ。

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アラスカのエスキモーの氷の竪穴住居復元模型。

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網走監獄の獄舎よりも、よほど保温性も高く、快適だっただろう。
なにより、家族と一緒が一番ですね。



網走を後に、再び阿寒へ。

道東の旅では何度も出くわした数キロも続く直線道路。
これぞ北海道!

写真は、その名も「大空町」の直線道路(道路左の表示板に町名が)。

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皆さまのブログでは、食事の紹介も多く、楽しみにしている。
出先で紹介されていた食堂を訪れたこともある。

このブログでは、食事についてアップすることはめったにないが、今回は前回の「知床五湖」で紹介するのを忘れた海鮮丼ぶりのご紹介。

知床五湖を訪れた夜は、どこに泊まるか予定はしていなかった。
でも、夕方になって、スマホで便利に直前予約。

結局、斜里の町(駅近く)に宿泊した。
夕食も行き当たりばったりだったけれど、ホテル近くの店。

そこの海鮮丼ぶりの豪華だったこと!!

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生エビ2本に、カニ、ホタテ、ウニ、サケ、イクラ、イカ、魚の刺身もあったけれど、名前は忘れた。丼からあふれそう。それに、岩ノリの味噌汁。

北海道名産を満喫した。御馳走さま!





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知床五湖 観光客の増加と野生との共生? -国立公園 人と自然(5 追補)知床国立公園 [   国立公園 人と自然]

ご訪問ありがとうございます。道東訪問記が続きます。

世界自然遺産登録から今年(2017年)7月で満12年の知床国立公園(「知床旅情と世界遺産で急増した観光客 -国立公園 人と自然(5) 知床国立公園」参照)。

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今回は、阿寒湖での用務(「阿寒湖の巨樹・巨木林」参照)の後に、知床五湖を訪問した。

知床半島の付け根に位置する斜里の町(斜里駅、斜里漁港)から国道334号を進むと、知床観光の宿泊拠点の一つウトロ(漁港)の手前に、落差50mほどの「オシンコシンの滝」がある。

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原生自然環境保全地域にも指定されている知床半島中央部の遠音別岳(標高1330m)を源流とするチャラッセナイ川にかかる滝だ。
途中から二つに分かれて流れるこの滝は、別名「双美の滝」とも呼ばれている。

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この滝は、道路沿いの駐車場からも近く、知床半島観光客の多くが立ち寄る観光名所ともなっている。

ウトロの町並みを過ぎると、広い駐車場の中の大きな建物「知床世界遺産センター」に到着する。

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知床の世界遺産登録を機に環境省が設置したもので、知床に生息するヒグマやエゾシカなどの動物や自然の様子を模型などで展示していて、世界遺産の見どころなどの情報も提供している。

全国の国立公園にはビジターセンターが設置されているが、世界遺産センターも類似施設といえよう。

日本では、国立公園の利用に先立って、ビジターセンターなどで自然の学習をし、あるいは利用のための情報を得る習慣が根付いているとはまだまだ言い難いが、このような立派な施設をぜひ活用してもらいたいものだ。

知床半島の斜里地区には、このほかにも公益財団法人知床財団が管理運営する「知床自然センター」もある。

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ここでも、自然の展示や案内、レクチャーなどが行われている。また、自然探索のための長靴や双眼鏡などレンタルサービスもある。

知床半島の自然の情報をたっぷり仕込んで、いよいよ知床五湖に向けて出発だ。

約4000年前の知床硫黄山の噴火活動による山体崩落でできた窪地に水が溜まってできた「知床五湖」は、その名のとおり一湖から五湖までの小さな湖(沼)の集まりだ。

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かつては五つの湖を順に自由に巡ることができたが、ヒグマの生息地での世界遺産登録などによる観光客の増加もあり、踏み荒らしによる植生影響、ヒグマと観光客との遭遇などの影響も多発し、安全対策を兼ねて利用者数のコントロール策(入域制限)が図られている。

その一つが、国立公園指定の根拠となっている「自然公園法」に基づく「利用調整地区」の指定だ。
利用調整地区は、原生的な自然地域での立ち入り人数等を調整・制限するための制度で、2002年の法改正により導入された。全国では知床五湖地区が2例目だ。現時点では、この2地区だけ!

知床五湖では2011年から開始された。

なお、知床五湖の先にある人気の観光地、秘湯「カムイワッカ湯の滝」への到達道路は、8月はマイカー規制期間であり、一般自動車の通行は制限されてシャトルバスへの乗り換えが必要となる。
これは自然公園法には基づかないものの、全国各地の国立公園で実施されている利用規制の一つでもある。

さて、知床五湖探索に戻ろう。
従来のように五湖の歩道(地上歩道)を巡るには、ヒグマの活動状況などにより、五湖入口の「知床五湖フィールドハウス」で事前手続きが必要となる時期もある。

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約10分間のレクチャーを受講(料金250円)して少人数ごとに出発が可能な方法・時期と自然ガイドの引率(有料)で探索する方法・時期とがある。
10月末から閉園期までは、手続きなしで地上遊歩道を歩くことができる(無料)。

今回訪問した日は、5月10日から7月31までのヒグマ活動時期に当たり、登録引率者(ガイド)の同行が必須だったが、クマの活動時期でツアー回数も少なく、残念ながら参加できなかった。

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一方、受付手続きも必要なく、無料で探索できるのは、高架木道だ。
一湖までの往復約1.6km、40分の散策だ。

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高架木道に沿って電気柵が張り巡らされており、木道の地上高もあいまって、ヒグマに襲われずに安心して探索できるという仕組みだ。

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世界遺産知床ツアーの団体観光客は街中の観光地のごとく木道を歩いているが、この地がかつては秘境と言われたとは想像もつかない。

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遠景の知床連山を水面に映す一湖の景色は、観光客のお目当ての一つだ。
残念ながら当日は、曇り空の夕刻で、写真としては今一だが。

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知床の鬱蒼とした原生林の野生の世界、岩尾別開拓と開拓跡地での知床100平米運動による植樹、そして世界遺産登録。

この間エゾシカは、樹皮剥離や食草など生態系への影響を与えるまでに個体数を増加した。
知床五湖の高架木道からも、シカの姿を何度も目撃した。

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シカの増加には地球温暖化による冬季の積雪減少などの影響もあるが、天敵エゾオオカミの絶滅の影響も大きい。

地球温暖化にしろ、エゾオオカミの絶滅にしろ、その原因は私たち人間だ。
ということは、現在のエゾシカによる生態系かく乱の元凶は、他ならない私たち人間ということではないだろうか。

野生動物を間近に見る体験は、国立公園訪問の醍醐味でもあり、いつまでも記憶に残ることだろう。

私たちは、国立公園訪問で野生生物の世界を垣間見させてもらっているということだ。

ヒグマにとって、子育てで気が立つ時期に人間と遭遇すれば、襲うのが自然ともいえる。

ヒグマに遭遇しても被害を被る心配のない高架木道は、演出過剰かもしれないが野生動物との共生の一つの姿かもしれない。

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富士山入山料 -国立公園の入園料と利用者数制限

『生物多様性と保護地域の国際関係 対立から共生へ』出版2 ―第Ⅱ部 国立公園・自然保護地域をめぐる国際関係

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